2025年1月5日日曜日

本当に正しいのかどうか

3年間厳格に実施している性の節制が真に正しいかどうかはわかりません。そこまで確実な自信はなく、いつも手探りで進めています。どちらかといえば、欲がない状況は行動力の源が弱くなるので、過去に一生懸命やっていた活動がどうでもよいと思えてしまうことが少なくありません。

年末年始の仕事を多く持ち帰りながら、なかなか手につきませんでした。これがいまの私の実力であり、そう偉そうなことは言えません。雑用といえる仕事をテキパキと片付けられず引きずりがちなのは、子どもの頃から変わりません。いかに節制しても、本来の気質のようなものを抜本的に改革するのは困難です。

もう少し遊びの要素があった時の方が、意欲があったかもしれません。あんなに懸命にやっていた英語学習と紙飛行機はそれほど大切と思えなくなっています。しかし改めて考えれば、この二つは生涯にわたって継続できる奥の深いものです。今一度英語学習のあり方を見つめ直し、日々の糧にできればと強く思います。紙飛行機は完全に遊びというわけではなく、頭脳と体を使う運動です。たまに東京都立武蔵野中央公園に出かけても、問題はないと思います。

数年前までは武蔵野中央公園に年に2度くらい出かけていました。いまはとてもそこまでの気持ちが湧き起こらず、3年も出かけていません。どうなったのか自分でも不思議です。確かに欲を抑えている点は評価できるのですが、あまりに無欲になっていて活動の原動力が弱っています。

仮説として、性の限界までの節制であらゆる欲がゼロ付近まで落ち込んでいて、余計なことは何もしたくない、そこまでエネルギーを注ぎたくない、と思う傾向が出ている気がします。これが真の健康といえるのかは不明です。多少女性に関心があった時の方が、さまざまな活動を同時にできた側面があるからです。英語もずっと熱心に勉強していました。

それでも性の節制で自分を信頼できるのは確かです。続けることの意義は大きいと考えています。要は程度の問題です。宮沢賢治氏は禁欲しすぎて体調が悪くなったという趣旨のことを話していたそうです。

答えは誰にもわかりません。ひとついえるのは、厳しく自分を追い込みすぎると失うものが出てくることです。年末年始に時間をかけて考えてみて、結論は出ませんでした。

食べる量は減らしても大丈夫です。夕食を食べると就寝時間が遅くなり、それでも平日は4時15分に起きなければなりません。もう少し早めに眠れば、状況も変わってくる可能性があります。寝ている時間は聖なる世界とのつながりをもつ、貴重な存在です。年末年始は1日6時間寝てみましたが、まだ眠いです。平日は4.5~5時間で睡眠負債が増えているかもしれません。

今年は夜の食事の回数を減らし、睡眠時間を増やしてみます。また、英語は決してあきらめず、だからといって今から英語の教員にはなれないので無理しない範囲で進めます。明日は非常勤先の大学で学生たちに会うので、また気分も変わるはずです。

普段は雑用に忙しくしているので、悩む時間がありません。休みになると余計なことを考えてしまうのはまだ弱い点です。とても強靭な肉体と心とはいえません。肉体も心も、まだ50点位の出来です。あるいはそれ以下かもしれません。そう簡単に自己肯定感は生まれません。

筋力トレーニングと西野流呼吸法はとても楽しく継続できています。一日も休まず実行しているのは評価できます。決して暗い面ばかりに目を向けてはいません。明日は都会の大学での授業です。気を引き締めて臨みます。

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