2025年5月31日土曜日

無欲と活動の意欲

人間の根源的な欲と諸活動の意欲は一定の関連性があります。あまり無欲になっていると、多くの活動がどうでも良いことに思えてしまい、なかなか行動に結び付きにくくなります。そのような時には小さな楽しみを見出して、多少の気分転換をすることが有効ではないでしょうか。そう自分に言い聞かせているものの、実際には少し違います。授業以外の仕事はほとんどどうでも良いと思ってしまいます。

それらのどうでも良い仕事をてきぱきと片付けるには相当な修練が要ります。食べ物や女性にそれなりに関心があると、なぜか雑用にも手が付きます。そして、紙飛行機のような手間のかかる趣味に時間を割くエネルギーが生まれます。しかし、現在はもうどうでもよくなってしまい、大学の授業と勉強だけに専念できたらいいのにと毎日考えています。何か食べたいものがあるわけではなく、また、女性には関心がありません。女性への関心は過去には時々戻ってきていたのですが、最近は戻る様子がなくて多少心配はします。

禁欲は始めたら生涯続ける人も居るはずです。それはやはり、気持ちが清々しくなるからです。無駄に外食に時間をかけることもありません。会いたい女性がいるわけでもなく、自分のために時間を使えます。その状態は普通ではありません。一般の人からみれば、かなり異常といえる状態です。それを忘れてはなりません。あまり突き進めると世間からの距離が遠くなって、誰とも親交を深めることができません。それを修行というのは何か違う気がします。

修行は誰にも気づかれず、自分のなかで完結させるものです。外から見て、「あの人は修行しているようだから」と感づかれては効果が薄れます。ごく自然に、無理しすぎないところで実践しなければなりません。

どこまでが正常な修行なのか、自分ではわかりません。常に心に歯止めをかけて、力まずに進められたら良いです。

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