2021年9月27日月曜日

特急列車にて

仕事のあと特急列車で移動しました。通常の指定席です。

通路を挟んだ隣の比較的若い女性が「あごマスク」で始発の東京駅から食事をしていました。両足とも靴を脱いで全席のシートに足を押し付けていました。途中2回大きなくしゃみをして、何の気遣いもなく自分ひとりの世界に没入しており、食べ終わってもあごマスクのままでした。

最近特急で見かけた食事をする人はすべて若い女性です。羞恥心や常識が完全になくなっています。正直、COVID-19よりもこのような退廃的な人間の方が怖ろしく思えてきます。

知人の研究者たちと話していると、おそらく年内にまた感染が爆発するだろうとの見解で一致します。フーチで未来を測定するのは難しいのですが、感染は爆発するでしょう。人の流れが拡大していて、公園で出会う人の多くがマスクをしていません。

気になるのは大学入学共通テストの試験監督に出かけるので、年末から1月の時期がどうなるかです。受験生にとっても試練の時期です。

2021年9月25日土曜日

炭酸飲料水の害は

まだ暑い日が続いているなか、厳格な食の節制を続けて10年以上になるのでたまには良いと判断し、世界ブランドの炭酸飲料(砂糖無し)を200㏄飲んでみました。15年ぶりです。

子どものころあれほど美味しく感じたのにあまり美味しいと思いませんでした。味覚が正常になっているためです。これは完全に嗜好品で、好きでなければ飲まない方が良い製品です。

フーチの測定では200cc飲むと寿命が20日縮みます。この数字は実際にそこまで短命化するわけではなく、体にとってどう影響するかをみる一つの参考情報です。世の中には体に悪いものがあふれかえっていますので、この程度では強い害があるとまでは言えません。時々楽しむ程度であれば何ら問題はない水準です。

本当に怖い食品はもっとほかにあります。理論上で寿命が数百日以上縮む食品が無数に存在します。

フーチがなかったら数字として把握できません。フーチの習得には10年かかりましたが、良かったと思っています。もっとも絶対に正しいかは確認できず、過信は禁物です。

測定したいものがありましたらコメント欄にご記入ください。

深呼吸と潜水

最近は呼吸の重要性を強く感じています。

中学2年生の頃、校内2年生全クラスの水泳大会でくじ引きに外れて潜水に出場しました。潜水は得意ではなく、嫌で仕方がありませんでした。当日雨で中止となるように強く願っていたのですが、晴天で予定どおり水泳大会が開催されました。

当時何もわからず「深呼吸が大切ではないか」と本能的に感じました。そこで、潜水に登場する1時間以上前から、誰にも知られないように深呼吸を繰り返しました。いよいよ出番です。練習では15メートル程度しか記録していませんでした。

思い切り息を吸って潜水しました。まず15メートルを楽々超えて「何か調子が良さそうだな」と思いました。全然苦しくなく、さらに潜水の平泳ぎで進むと徐々に向こうの壁が視界に入ってきました。まさかと思っていると目の前はプールの端でした。つまり、25メートル一度も息継ぎせずに届いてしまったのです。思わず水の中で笑いそうでした。

わずか25メートルではありますが、子どもでしかも水泳が得意ではなかったのにそれほど苦しくなく25メートルに届き、結果は優勝でした。

この体験が意味するのは呼吸の力です。たとえ体が小さくても、肺活量が少なくても深呼吸で大きく補えることを身をもって知りました。

深い呼吸を繰り返すことには想像を超える力があります。以上の体験をふまえ、いま毎日実践している西野流呼吸法をさらに継続、強化することが大きな課題と考えています。

2021年9月18日土曜日

鰻は安全

魚のなかで鰻は安全です。長い間害があると思い込んでいましたが今年知りました。フーチで測定すると他の魚とはまったく事情が異なります。

なぜ鰻が体に負担をかけないのか想像してみました。養殖で餌に大きな問題がないことがまずあります。そして、調理の仕方が大きな要因です。煮てから焼き、その過程で体に良くない成分がおおむね抜かれます。

鰻は栄養の面でも良好な魚です。 高級食材のなかで安心できるものは数少ないため、貴重な食材といってよいでしょう。

2021年9月17日金曜日

電車内での食事は厳禁

COVID-19のことがあるので電車は極力特急の指定席を使います。今日は金曜日だからかやや混んでいました。そして、斜め前すぐ近くの比較的若いと思われる女性二人が車内で大きな声で話していました。

しばらくするとマスクを外して数センチの厚さはある巨大な果物サンドを食べ始めました。見なくても目に入ってしまいます。さらに話は大声になり、周囲に何の配慮もありません。

ワクチン接種して問題ないと思っているのでしょう。登山用品を抱えていました。指定席で席を移動できず、柴田真一先生の「ラジオビジネス英語」をイヤホンで聴いていても集中できません。失敗しました。

その後在来線に乗り換えました。混雑回避のため在来線のグリーン車に乗ると、今度は前の席ととなりの席の女性が食事を始めました。特に左隣のやや若い女性は大型の透明容器に入った食べ物やデザートなどを長い時間かけて食べています。前席は見えませんでしたが、何か持ち出して食べているのはわかりました。

ワクチンを接種した人たちの緊張が途切れています。本来電車内で食事をしてはなりません。基本的な倫理観の欠如が広がっているようです。食事は個人的な行為で他人の目に触れないところでなされるものです。電車内は食堂ではありません。

こうして食欲にまみれていると一気に堕落します。仮に若かったとしてもその若さは一瞬で終わります。公共の場における女性のpig-out(大食い)は醜いの一言です。食と性の慎みは生活の基本です。食が乱れている人はほかの側面も乱れています。

おそらく現状のたるんだ意識のもとでは、近いうちに感染が再度爆発的に増えます。しかし、食と性を律していれば大丈夫です。

2021年9月12日日曜日

アニメにおける抗争

シルバーバーチ霊は悪の勢力に対して暴力で応じるのは、憎しみが憎しみを呼ぶだけで解決にならないと繰り返します。 

一方、アニメの世界では善と悪との果てしない抗争が良く描かれます。人間世界の永遠のテーマであり、主題として取り上げやすい面があります。そして、アニメでは悪を完全に消滅させる主人公たちの活躍ぶりに魅力を感じます。

荒木飛呂彦氏の『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』は最近知った作品です。荒木氏のとてつもなく高い能力が伝わる渾身の作品との実感があります。

率直に言って日本のテレビドラマ、映画にほとんど魅力を感じませんし、実際に観る機会は皆無に近いです。しかし、時々運よく触れるアニメはその崇高な精神と独創性の高さに感動します。日本のアニメは世界最高峰といわれるのがよくわかります。

『黄金の風』の舞台はイタリアです。その美しい街並み、登場人物たちの個性的で輝く姿に魅了されます。ギャング組織内での抗争を描いた作品で、登場人物の多くが「スタンド」と呼ぶ特殊能力を持ちます。スタンドは人の背後についている特別な力を発揮する存在です。

(主人公のジョルノ・ジョバーナ 出典:「ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風」公式サイト)

善の力と悪の力とが拮抗して死闘が繰り広げられます。主人公のジョルノ・ジョバーナはわずか15歳ながら大きな器を持ちます。礼儀正しく言葉遣いは丁寧で、敵にさえ悪態をつきません。正義感に満ちた行動をとり、人類の手本といってよい存在です。

部分的にしか観ていない作品ですが、奥の深さと哲学とを感じさせます。もっとも、様々な点から子ども向きの作品ではありません。視聴者の中心は大人と思われます。

善と悪との闘い

世の中はいつも善と悪との闘いの場です。長い人間の歴史を振り返っても、その事実は一目瞭然です。そして現代の日本ほど悪の勢力が拡大している時代は少ないように思えます。

悪の大群は表立って活動するわけではありません。ほとんどが水面下でなされます。人に知られないようにじわりじわりと広がっていき、多くの人がその存在に気づきません。また、自らが悪の要素をもっていると、悪い方向に向かっていることさえ認識できません。

しかし、最後には必ず善の力が勝利をおさめます。それに要する時間は途方もなく長いものです。シルバーバーチ霊は”狼と子羊がよりそう平和”がいつか実現するといいます。それでも 今後100年以内に実現することはどう考えても無理です。

日本に限りません。世界の至るところで不必要な対立、流血が続いています。宗教は本来の意義を失い、異なる宗教間の対立が激化するばかりです。このような混乱から秩序が生まれるまでに、まだ相当な時間がかかることでしょう。

そこで、社会全体を良くしようと大きすぎる目標を持たない事が大切ではないでしょうか。どのような環境でも揺るぎない自分を数十年かけて作ることが大切と感じます。

物を長く使う

「物質に恵まれる相があっても諸具が新しいうちは大切にして、古くなると粗末にする人は、物を大切にする心、誠意がありません。諸具を日々使うときは使用人に接するようにすることです。使用人が若いうちは大切にしますが、老衰してくると簡単に捨てるようでは誠意がありません。土器などは土を掘って埋める、木物は燃やして土に帰してやる。これは家臣の最期を見届ける君主の慈悲と同じです」(水野南北,水沢有/訳,『南北相法極意修身録』p.273) 

 たとえば、英国人は愛車に名前を付けて呼ぶ人が多いと聞いています。波動測定では物に呼びかけながら大切に使うと”寿命”が大きく伸びる結果が出ます。

 車を2,3年で乗り換える人は趣味の問題でしょうが、人に対しても冷たいことが想像されます。すぐに飽きて手放すようでは物の良さを引き出すことはできません。そして、物はきっと悲しんでいます。

 人との距離が近い物であるほどそれは単なる物理的な存在ではなくなります。