仕事が大変で気分転換したいのであれば、外食も良いと思います。お金は貯まりにくくなるでしょうが、お酒を遠ざけていれば、そしてなるべく大型の魚を食べなければ、多少の外食は良いのではないでしょうか。
しかし、人生で10年間くらいは徹底して外食をやめてみると良いです。そこでいろいろなことがわかってきます。気づいたら経済的に困らなくなるので、それだけでも挑戦する価値はあります。また、食の節制が万能薬ではない事実もわかります。徹底的に実践してみてはじめてわかることです。
それでも基本的な食事を継続するのは大切です。粗食に偏りすぎた場合の弊害はまだわかりません。あまり無理をしすぎない範囲で実践するのが大切です。また、水野南北先生はある男性からの質問に対して、食を律していれば女性と遊んでも問題ない、あくまでも食が基本であると主張されます。そういう南北先生は当然、女性とも遊んではいなかったと思われます。これは意志が弱い質問者に対する、南北先生からのやさしい助言ではないかと想像しています。実際に『修身録』では、食事を節制することに加えて女性を遠ざけなさい、と南北先生は指摘されています。
食よりも女性との関係を律する方が高度で重要である、というのは筆者の変わらぬ見解です。それに加えて外食を徹底して排除することには一定の効果があり、挑戦し続けたい課題です。
食、性ともに節制の対象としては重要です。どちらをより重視するかは、その人の価値観で決まります。両方ともぎりぎりまで節制するのは理想論としては好ましいのですが、やってみると完璧な修行モードに入って、通常の人との接点がまったくなくなります。それが職業上可能であれば、やってみても良いと思います。会社員では実践が難しいでしょう。変人扱いされます。また、結婚して家庭がある場合に自分だけがそれを実践したら、家庭崩壊の原因になります。実践には家族の理解が不可欠です。どんな形でも、二つの欲を限界まで制御する生活を送っていると精神に悪影響が出る恐れはあります。
最近3年間の筆者は食をやや緩めて外食を取り入れ、性は逆に強化して節制しています。そして、週末の人との外食で精神の調和を保っている面があります。もしひとりきりで超粗食にしていたら、3年間で精神状態が危険な水域に入っていたかもしれません。
そんなに無理をして頑張らなくても楽にできるのでは、と思う女性がいるかもしれません。しかし、男性がこの2つの欲を同時に極力制御するのはやさしい修行ではありません。いとも簡単と思っているうちは、まだどこかに甘さがあるか、あるいは嘘をついているかのどちらかです。
食の節制は数年経つまでは楽になりません。続けていくともはや食べ物に一切執着しない段階が訪れます。私はその領域に入っているので、粗食の実践は楽だといっているだけです。基礎があるから楽なのであり、気を緩めれば外食続きになる可能性もあり、やはり困難な課題であることに違いはありません。
一方で、短い人生だから好きなものを楽しみたいという人がいます。それはそれで良いと思います。重点をどこに置くかの違いです。一度霊訓の世界を知ったら、楽しいだけの生活を送ろうとは思いません。そして、できる範囲で霊的な知識を広めていく義務が生じます。
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