2025年6月4日水曜日

満点の人の英語力

あくまでもフーチの波動測定結果ですが、TOEICで990点(満点)を取得している日本人の平均英語力を聞いてみると四流との位置づけです。先日調べた900点以上の場合と変わりません。問題の根は深い可能性があります。マークシート方式の試験では、実務に役立つ英語力を身につけるのは難しいのかもしれません。しかし、990点は素晴らしいです。

後輩は留学を一切せず完璧に近い英語を使います。彼の才能が影響しています。今日も後輩とは会議で会います。近くにいたらそれとなく英語のことも聞いてみようかと思います。道のりは険しい方が楽しみがあります。楽に修得できたら価値はありません。

英語が仮にできても、現在の生活が大きく変わることはありません。英語を使って仕事や人生に役立てる日はまだ先になりそうです。

2025年6月3日火曜日

90歳を超えた男性の関心

以前職場を退職した教員から大学に連絡がありました。現在90歳を超えています。教職員に渡したい資料があるので、誰か自宅に取りに来てくれないかという相談でした。そこで、筆者ともう一人の男性教員の2人で公用車で伺いますと提案すると、膝が悪くて歩けないし耳も遠いので来てもらっても困るといいます。

「その代わりに、一度会ったことがある若い女性の教員(准教授)に出勤する前にこちらに立ち寄ってくれるよう話してくれないか。資料を渡すから」と言われました。

私と男性教員で情報を共有すると、「男性教員には来てほしくないが、女性の教員か職員ならば歓迎というわけか」と苦笑していました。そして、女性教員にお願いするのは迷惑でしょうから対応に困っていたら、本人から電話があり資料が多いので郵送するとの話でした。直接准教授に連絡して断られたのかもしれません。

ここでわかるのは、90歳を超えてまだ女性に執着するその実態です。特殊なケースとは思われません。これを聞いて「元気なお年寄りで良い」と考える人がいたら、どうかしています。若い時から節制していないから晩年に女性しか楽しみがなくなってしまうわけです。こうなったらいかに有名な研究者でもおしまいです。

常に節制した男性だけが、充実した晩年を過ごせるはずです。歩けなくなることは絶対にありません。

2025年6月2日月曜日

筋肉がつきにくい

筋力トレーニングは休まず継続し、力は向上しています。その一方で、特に上半身の筋肉量が増えません。ボクシングでいえばミニマム級よりもわずかに多い体重で、安定推移しています。これだけ継続して現状なので、もう大きな増加は見込めそうにありません。

ひとつ仮説をもっています。性の厳格な節制で男性ホルモンが減少している可能性が考えられます。今よりは厳しい節制をしていなかった5年前であれば(それでもかなり厳しくやっていました)、トレーニングをしていなくても筋肉量があり、腹筋は割れていました。それは男性ホルモンの量が多かったためという見方が可能です。

そのような現象ひとつをみても、健康な男性に極端な節制を推奨することは決してできません。ましてや数年間にわたって完璧な節制をすると、最悪の場合には男性生殖器の機能を完全に失います。それは大きなリスクであり、常に認識しておかなければなりません。フーチの波動測定では、600日の完璧な禁欲の継続で機能喪失する確率100%と出ています。

完全に失って良いと判断するのであれば、他人には公言せずひとりで実践してください。筆者はその禁欲を否定しませんが、他人を巻き込むのはやめていただきたいです。また、仮に100%の禁欲を実践できたとしても、それだけで人格が高まって外見の魅力が増すことはありません。

なお、猫などのオスは絶対に去勢手術をしてはなりません。それは生命そのものを失うことを意味します。性格や個性はなくなり、以前の姿とはかけ離れた存在となります。メスに一切関心を示さないオスの猫や犬が、飼い主にとってかわいいペットになるとは思えません。たまにメスに関心をもつのは自然の現象です。生殖器は動物の生命の源であり、人間の間違った判断で手術をしてはなりません。

生殖器の機能と欲を悪の根源とみなす考えは、一部の間違った宗教の名残です。そんなことはありません。そうだとしたら、神の設計に間違いがあったことになります。間違いは暴走する人間の行為です。機能は大切なものです。そこをはき違えてはなりません。あまりに無理をして抑え込んで禁欲を継続すると、機能喪失の確率が高まります。そして、機能喪失した男性に他人が魅力を感じることはありません。

2025年5月31日土曜日

余計な一言をいわない

備蓄米をめぐって、「1年たったら動物の餌」と発言した政治家のことを新聞で知りました。さすがにこれはまずいでしょう。言葉は凶器になり得る存在です。常に細心の注意をもって言葉を選び、自分を制御しなければなりません。

政治家に限った話ではなく、人間は口が発達しているから言わなくて良いことばかりを言ってしまう存在です。自分の意見を言わずにいられない存在です。その多くは余計な発言で、わざわざ周囲とのあつれきを増します。

たとえば自分が他人より健康で美しく頭が切れると思い込んでいると、はらはらするような言動が出てきます。自己を律するのはとても難しい課題です。男性だけではありません。女性も同じです。

老若男女、すべての人は何も言わない程度がちょうど良いです。買い物をするときにはあれこれ商品に注文をつけてはなりません。外食をする際には、ほかのお店と比べてああだこうだと評論するのはやめた方が良いです。サービスはお店のやり方に任せましょう。あの女優さんの目がきついとか、大統領の顔が悪いとか、会社の上司のお腹が出ているとか、近所のおじさんが不健康そうとか、無限に意見が湧き出てきます。

私たちは会社、学校、家庭まで不要な意見に囲まれて生きています。どこをみてもそうです。いつの間にか日本はそのようになってしまいました。といっている筆者も本当は好ましくないのでしょうか。反省しきりです。筆者は自分がいないところで人に何を言われても1ミリも気にしないので大丈夫ですが(すべての人から批判され無視されても「そうですか」と流せます。ただ、刃物で刺されるのは困る)、そうでない人もいます。何か発言する前に、ちょっとでも「これを言って大丈夫かな」とブレーキをかけると良いです。

やはり言葉を自在に使えると良いことはあまりありません。たまには全国民が「今日は仕事以外では英語だけしか使えない」という日があるとすごく嬉しいです。誰も何も言えなくなります。筆者はもともと日本語でも何も言わないので、四流レベルの英語の実力ではますます無口になってちょうど良いです。英語でなくてドイツ語、フランス語、中国語でももちろん良いです。ただし、それらの言語は英語よりさらに難しいですよ。学生時代にフランス語の厳しい授業で徹夜に近いこともありました。子どもたちは他の言語の練習になって良いはずです。同じクラスの生徒にいじわる言うなら、英語で言ってください。いまの子どもたちにそんな根性ありますか。努力しないから出来ないでしょう。

そうして世の中がしーんと静まり返った休日が1年のうち1日でも実現したら、これ以上の喜びはありません。

私は日本語も英語も話すのが苦手で良かったです。だからいつも発言する前に、自分を客観視できます。ブログでは厳しい発言ばかり続きますが、きれいごとは言いたくないからです。実際の職場でこんな尖ったことは言いません。ひたすら我慢するのと、発言前には慎重に慎重を重ねるからです。

私はスリ・ユクテスワ氏たちインドの聖人を敬愛しています。深く考えて哲学をもっていても、普段は何も言わないからです。

政治家にはインド哲学を多少でも学んでいただきたいものです。あまり言うとしつこいので、このあたりで終えます。

さて、明日は勉強の本を買うために近くのイオンモールに行きます。経営学の授業で使う情報も探します。また、「ラジオビジネス英語」6月号も買います。「出来ないのによくそんな上級講座を何年も聴いているな」「それなのに四流かい。ははは」といわれそうです。もちろん、まったく気にしません。人は批判されてはじめて一人前です。誰にも批判されなかったらもう終わった人です。

英語は誰に何を言われても絶対に続けます。あとはいつか紙飛行機を再開するのが夢です。紙飛行機の目標は日本一の技量を手にすることです。英語とちがって強気です。

無欲と活動の意欲

人間の根源的な欲と諸活動の意欲は一定の関連性があります。あまり無欲になっていると、多くの活動がどうでも良いことに思えてしまい、なかなか行動に結び付きにくくなります。そのような時には小さな楽しみを見出して、多少の気分転換をすることが有効ではないでしょうか。そう自分に言い聞かせているものの、実際には少し違います。授業以外の仕事はほとんどどうでも良いと思ってしまいます。

それらのどうでも良い仕事をてきぱきと片付けるには相当な修練が要ります。食べ物や女性にそれなりに関心があると、なぜか雑用にも手が付きます。そして、紙飛行機のような手間のかかる趣味に時間を割くエネルギーが生まれます。しかし、現在はもうどうでもよくなってしまい、大学の授業と勉強だけに専念できたらいいのにと毎日考えています。何か食べたいものがあるわけではなく、また、女性には関心がありません。女性への関心は過去には時々戻ってきていたのですが、最近は戻る様子がなくて多少心配はします。

禁欲は始めたら生涯続ける人も居るはずです。それはやはり、気持ちが清々しくなるからです。無駄に外食に時間をかけることもありません。会いたい女性がいるわけでもなく、自分のために時間を使えます。その状態は普通ではありません。一般の人からみれば、かなり異常といえる状態です。それを忘れてはなりません。あまり突き進めると世間からの距離が遠くなって、誰とも親交を深めることができません。それを修行というのは何か違う気がします。

修行は誰にも気づかれず、自分のなかで完結させるものです。外から見て、「あの人は修行しているようだから」と感づかれては効果が薄れます。ごく自然に、無理しすぎないところで実践しなければなりません。

どこまでが正常な修行なのか、自分ではわかりません。常に心に歯止めをかけて、力まずに進められたら良いです。

2025年5月30日金曜日

試験の高得点者は

今日も英語の勉強をしながら問題点を引きずっています。試みに日本でTOEIC900点以上の人の平均的な英語力はどのくらいか質問しました。答えは四流でした。

この結果が意味するのは、高得点保持者でも仕事の実践で使える英語力とはほど遠い可能性が高いということです。確かに基礎力はあるのでしょうが、すぐに使える英語力を備える人はごく一部であると思われます。職場の米国人はこの試験制度を否定しています。

改めて実践で役立つ英語が大切であると痛感します。日本人が普段の生活で英語をどう活用するかは実に難しい問題です。大学での会議を英語でやってみてはと思うのですが、そのような提案は現実的ではありません。反対する人が多数出ますし、議論に時間がかかるからです。そして、英語がまったくできない教員たちが困ります。勉強しようとさえしない教員が少なからず存在するのが実情です。

英語学習の立て直し

日本語では四流という言い方は普通しません。三流以下という意味で指摘されたのではないかと考えなおしました。 

ここから英語学習を立て直していきます。shadowingは楽にできます。数年前は全然できなかったので、キャスター、アナウンサーの速度にはついていけるようになっています。発音は録音してみてあまり問題はありません。英文メールはそれほど苦労なく書けます。といっても、メールの相手は職場でたまに会う米国人ですから書くのに気を遣い、面倒になってしまってそう頻繁には書きません。いまは同僚に書こうと思えばすぐに書けます。それは英語学習や大学教育をテーマに書いているので、関心があるからです。話すのと違い、書くのは考える時間があります。文法さえ知っていれば書けます。米国人英語教員は昨日英単語の本を勧めてくれました。割と基本的な本です。

自分の関心のある分野であれば話すことは可能です。ただ、全然関心がない問題などは黙って聞いているほかありません。まだ文を組み立てる力が弱いと実感します。また、語彙が少なくて同じ単語を使いがちです。

学習意欲は十分にあります。自分に合った教材で、難しすぎることはやらないようにしたいと思います。英語を使う場がないのが問題です。どうすれば良いのか考えているところで、一番早いのは経営学のゼミで時々でも取り上げることでしょうか。しかし、四流といわれてしまうと躊躇します。まだ英語に関しては恥ずかしい気持ちが残っています。

現状の日本の英語教育では話せるようになったり、自然な速度の英語を聴きとったりすることができるようにはなりません。比較的やさしい、書くことさえ無理でしょう。いくら小学生から授業を行っても、今の学校教育では習得できません。せいぜい入試問題を解けるようになるだけです。英語を学ぶには家庭のなかの環境から変える必要があります。

2025年5月29日木曜日

四流だった英語の実力

最近は経営学者ピーター・ドラッカー氏の「強みに集中しなさい」との言葉を何度も思い出しています。そこで、昨夜自分の英語力をドラッカー氏に質問してみました。即座に四流との回答がありました。さらに続けて筆者が知る英語の達人たちに聞いてみると、一人だけ三流といってくださってあとは四流でした。

この結果に自分ながら笑いました。面白いです。二流から三流くらいではと感じていました。測定値は目安とはいうものの、どおりで上達しないわけです。しかし、がぜんやる気が出てきました。四流を意識して気楽に努力すれば高望みをしないで済みます。過去に最高に出来たと思っていた大学院入試に合格した頃、おそらくトップ合格だったのですがいま測定すると四流で変わりません。さらに続けて聞くと、あと6年学習を継続すれば状況が改善するそうです。結局一定の水準に到達するには15年は必要という計算です。普通の人より相当時間がかかります。

職場の同僚3人の英語力は「超一流」です。この差は埋められませんが、現状はそうなのです。

では、強みは何か少し測定を続けました。超一流は経営学、日本語、そして紙飛行機の3つです。ドラッカー氏に言わせれば、この領域に注力して英語は無視した方が良いとなります。忘れずにいたいとは思います。意外にも紙飛行機は生まれつきの才能があるようなので、副業に生かせないか方策を考えてみます。

筆者の外見に関しては英語よりもはるかに上の領域でした。少し慰められたような気分です。特に性の完全に近い禁欲が顔に効いてきたとのことです。どの水準かは言いません。背が低いのだけは変えられません。しかし、コンプレックスのある体型でさえ、日本人男性でぎりぎり一流と出ます。163センチなので世界の男性に入ると三流と下がりますが、日本で生活するには十分といえます。

今日も始動は早いです。大学にはもっと早く出勤して、できない英語もそれなりにがんばってみます。まだこれくらいで諦めているようでは全然話になりません。とはいえ、自分の力を正確に知る必要性はあります。同僚と英語で競うのはやめた方が身のためです。

その前に筋力トレーニングです。毎日を体と心、頭脳の訓練で満たしていないと心の満足は得られません。才能があるかどうかは別の問題であり、努力そのものに意味がないとまではいえません。意味がなかったとしても努力をやめてはなりません。ドラッカー氏はあきれているかもしれません。

2025年5月23日金曜日

中高年男性の更生

公の場で失言を繰り返す中高年男性たちがなぜそのような発言をするのかというと、普段から節制していないからです。偉い地位に昇り詰めれば周囲が持ち上げて、勘違いさせてしまいます。自分が一番偉いと思ってしまうわけです。

そのような男性は、食と性の節制を限界まで6ヵ月間行わせるとかなり矯正できます。そうしてはじめてまっとうな議論が出来る基礎が出来ます。おそらく別人になってしまうはずです。外見はがらりと変わります。6ヵ月間が無理ならば2ヵ月間でも十分です。またはその人の限界までで大丈夫です。たとえ1ヵ月間でも相当違います。1ヵ月の間は1日1食で外食は禁止し、お酒は1滴も飲まず、精子は1滴も漏らしてはなりません。堕落した中高年男性には相当壁の高い課題と思えるはずです。彼らにそれを乗り越えるだけの根性があるでしょうか。

しかし、いつまでも失言を厳しく追及するのは良くないです。一度叱れば十分で、あとは本人の問題です。マスコミも世の中も徹底して批判して、最後まで追い詰める姿勢を崩しません。そのような態度では自分も同じ水準にいることになります。一度言って、それ以上はもう言ってはなりません。悪意のない、単に浅はかだった発言をしつこく追及する必要はありません。

自分が節制していれば世の中の批判はどうでもよくなります。自己を高めるのが最優先課題です。

今週もいろいろありましたが無事に終わりました。気になるのは1年生たちがフレッシュだった4月に比べて、だいぶ退廃的な雰囲気が出てきた点です。厳しく言ってはなりません。まだ若いからわからないだけで、若者は更生する可能性を多く持っています。余計な指導や口出しはせず、見守りながら進めます。

2025年5月22日木曜日

最近の性の節制

現在はまるで性の欲が無い状態が続いています。起床時の体に男性特有の現象がないため本当に健康なのかは気になりますが、この状態は決して嫌いではありません。余計な関心がなくなって仕事や勉強に集中できるのと、霊界の高級神霊に見られても問題がないためです。

お酒への欲と情欲、食欲が人間の精神を落とす最たるものです。その3つを完全に制御できればようやくスタート地点に立てます。我慢で抑えていてはすぐに限界がきます。何も苦しくない気持ちで平然と続けられるのが本物です。

といっても、女性に少し関心がある程度はむしろ健全です。まったく関心が無い状態で10年間過ごせる人がもしいたら、体と精神のどこかに異常があると思います。食と性の節制は押しつけがましく考えてはなりません。人それぞれ体の機能は異なります。若い人でも根性で実践できると浅はかな主張をしてはなりません。そんなわけはありません。中高年の男性にとやかく言われる筋合いはありません。若者は健康な体をもっています。老化している人と同列には論じられません。健康な男性が限界に挑戦し続けるその姿勢が尊いのです。

筆者の10代は超完璧な、誰も近づけない領域で生活していました。どんな分野でもそれなりに高い能力を発揮し、いつも綺麗な心でいた時代です。当時のことはいまでも忘れず、節制を心がけて目標としています。

昨夜大学からの帰り道、学校近くのアパートに向かう男子学生と女子学生が手をつないで歩いていました。誰かはわかりませんが、うちの学生です。清潔な関係のままでいてほしいと他人事ながら思いました。現代の日本人は簡単に肉体関係を持つのでわかりません。大学生の恋愛では肉体関係を持たない姿が理想です。この考えは学生時代からまったく変わりません。筆者は高校時代に一人、大学時代に一人好きな女性は近くにいましたがどちらも片思いで、一瞬も相手に情欲をもったことはありませんでした。これは社会人になってからも同じで、好きな女性に情欲を少しも持たないのは自分でも感心してしまうほどです。本当に純粋な気持ちしかありません。

男女が関係をもつのは結婚して子どもを授かる時です。日本人は関係に移行するのが早すぎます。そうして、大切なエネルギーと純粋な精神は短期間でなくなってしまいます。しかし、日本では性交渉の経験が無い男性を馬鹿にする風潮があります。童貞という汚らわしい言葉は、精神の堕落した人が勝手に作り出した造語です。汚らわしい人は他人のことを見下し、平気で下品な言葉を乱用します。