備蓄米をめぐって、「1年たったら動物の餌」と発言した政治家のことを新聞で知りました。さすがにこれはまずいでしょう。言葉は凶器になり得る存在です。常に細心の注意をもって言葉を選び、自分を制御しなければなりません。
政治家に限った話ではなく、人間は口が発達しているから言わなくて良いことばかりを言ってしまう存在です。自分の意見を言わずにいられない存在です。その多くは余計な発言で、わざわざ周囲とのあつれきを増します。
たとえば自分が他人より健康で美しく頭が切れると思い込んでいると、はらはらするような言動が出てきます。自己を律するのはとても難しい課題です。男性だけではありません。女性も同じです。
老若男女、すべての人は何も言わない程度がちょうど良いです。買い物をするときにはあれこれ商品に注文をつけてはなりません。外食をする際には、ほかのお店と比べてああだこうだと評論するのはやめた方が良いです。サービスはお店のやり方に任せましょう。あの女優さんの目がきついとか、大統領の顔が悪いとか、会社の上司のお腹が出ているとか、近所のおじさんが不健康そうとか、無限に意見が湧き出てきます。
私たちは会社、学校、家庭まで不要な意見に囲まれて生きています。どこをみてもそうです。いつの間にか日本はそのようになってしまいました。といっている筆者も本当は好ましくないのでしょうか。反省しきりです。筆者は自分がいないところで人に何を言われても1ミリも気にしないので大丈夫ですが(すべての人から批判され無視されても「そうですか」と流せます。ただ、刃物で刺されるのは困る)、そうでない人もいます。何か発言する前に、ちょっとでも「これを言って大丈夫かな」とブレーキをかけると良いです。
やはり言葉を自在に使えると良いことはあまりありません。たまには全国民が「今日は仕事以外では英語だけしか使えない」という日があるとすごく嬉しいです。誰も何も言えなくなります。筆者はもともと日本語でも何も言わないので、四流レベルの英語の実力ではますます無口になってちょうど良いです。英語でなくてドイツ語、フランス語、中国語でももちろん良いです。ただし、それらの言語は英語よりさらに難しいですよ。学生時代にフランス語の厳しい授業で徹夜に近いこともありました。子どもたちは他の言語の練習になって良いはずです。同じクラスの生徒にいじわる言うなら、英語で言ってください。いまの子どもたちにそんな根性ありますか。努力しないから出来ないでしょう。
そうして世の中がしーんと静まり返った休日が1年のうち1日でも実現したら、これ以上の喜びはありません。
私は日本語も英語も話すのが苦手で良かったです。だからいつも発言する前に、自分を客観視できます。ブログでは厳しい発言ばかり続きますが、きれいごとは言いたくないからです。実際の職場でこんな尖ったことは言いません。ひたすら我慢するのと、発言前には慎重に慎重を重ねるからです。
私はスリ・ユクテスワ氏たちインドの聖人を敬愛しています。深く考えて哲学をもっていても、普段は何も言わないからです。
政治家にはインド哲学を多少でも学んでいただきたいものです。あまり言うとしつこいので、このあたりで終えます。
さて、明日は勉強の本を買うために近くのイオンモールに行きます。経営学の授業で使う情報も探します。また、「ラジオビジネス英語」6月号も買います。「出来ないのによくそんな上級講座を何年も聴いているな」「それなのに四流かい。ははは」といわれそうです。もちろん、まったく気にしません。人は批判されてはじめて一人前です。誰にも批判されなかったらもう終わった人です。
英語は誰に何を言われても絶対に続けます。あとはいつか紙飛行機を再開するのが夢です。紙飛行機の目標は日本一の技量を手にすることです。英語とちがって強気です。