インドの聖人たちがいう13年間におよぶ性の完全禁欲は、健康な男性であれば不可能に近い領域です。最近調子のよい筆者であっても、とても13年間は無理であると言い切れます。調子のよいときには「ひょっとして可能では」と錯覚してしまうことがありますが、冷静に考えれば無理です。無理しすぎたときにどうなるのかは不明確であり、一定の危険が伴う修行であると考えています。人によっては精神の崩壊懸念さえあります。
フーチで聞いてみると、インドでも実際に13年間の修行に耐えた人はひとりも居ません。理論上は正しいとの立場で口にしても、それが実行できる修行者はいないと考えるのが妥当です。本当に実践できたら、想像できない水準の天才になる可能性があります。
本ブログでは、不可能に近いことを唯一の正しい道であると主張するつもりはありません。この点は改めて明らかにしておきたいと思います。もし完全にウールドヴァ・レータ(精液が上に流れる者)に移行できれば、到達できる可能性はわずかにあります。しかし、ウールドヴァ・レータへの移行方法はどこにも記述がないため、試行錯誤で探さなければなりません。
これまでの感覚としては、ウールドヴァ・レータは10年以上の長い時間軸で継続するものではなく、数か月間でいったん終わり、またしばらくおいてから次のウールドヴァ・レータに入るという循環を形成している気がします。そして、いったんウールドヴァ・レータに入ったときには何も苦労なく修行が続いて、精神的にも肉体的にも強くなっていきます。
目標は100%の純度ではありません。99%です。100%達成できる人は人間の領域をはるかに超えています。そこまで実践できたら、イエス・キリストさまの水準です。または、老化して機能を完全に失っているかです。
順調にいっているときには自分がすべて正しいと思いがちです。傲慢になってはならないと常に言い聞かせます。しょせんは地上の人間であるからです。霊界の高貴なる魂、高級神霊からみれば欠点だらけです。人間はまだ霊的にみれば幼稚園児のようなものです。そして、園児なのに大学での学問に挑戦しようとしても無理があります。分をわきまえることが大切です。
水以外をすべて断ち切る1週間の完全断食はあまり難しくはありません。必要がないからやらないだけで、筆者はいつでも実践できます。その程度のことは修行とはいえない難易度です。しかし、3ヵ月間以上女性を一切考えない完璧な禁欲を実践するのは、完全断食1週間よりはるかに高度な領域です。その修行は年齢が若くなるほど難しくなります。1年間以上の完璧な性の禁欲は、もう何も比較の対象となるものがない、圧倒的に高度な世界です。14歳(大人への入り口)から20歳まで、それを実践できていたのは自分でも尊敬に値します。
なお禁欲の大前提として、生殖器の機能を保っていることです。喪失していたら修行の意味はまるでありません。
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