2025年6月15日日曜日

戦争で亡くなった方たち

朝早い時間にお花をもってお墓参りに行きました。筆者の地域は戦時中米軍により爆弾が投下され、若い女子生徒たちが命を失いました。職場のすぐ近くに共同墓地があり、定期的に訪問しています。

この人口が少ない街に空襲があったことは知りませんでした。その話は近隣高校の美術の先生から聞いて、大学の授業内で私も一緒に聴いたのですが、それからしばらくすると亡くなった女子生徒たちのうめき声、苦しみの声が長い時間聞こえてきました。職場の会議中にずっと聞こえていて、他の教員には何も聞こえなかったようです。

そこですぐにお墓参りに出かけました。それ以降は一切声は聞こえなくなりました。おそらく忘れられたくなかったのでしょう。最近は2年に1度くらいのペースで一人でお墓に行きます。美術の先生にショートメールをしてみると、授業前で間に合うので一緒に行ってくださるといわれ、2人の方がより良いと思って出かけました。

美術の先生は当時の残り少ない親族などから聞き取り調査を実施し、油絵で亡くなった方たちを再現しました。写真を頼りに描いたその絵は、大学の学園祭に展示されました。それらの写真をみると、どの生徒も大変に気品の良さが備わっていて美しく、とても現代の日本人女子学生にはない知的雰囲気が漂っていました。

昔の苦しい時代に強く懸命に生きていた女性は、その正しい生き方が外見の美を増すことになったのだと感じます。何も勉強しないですぐに擦れてしまう現代人とは次元が違います。そして、筆者はそのような昔の女性たちに仲間意識を感じます。

いま声は聞こえません。姿を現わしたり声を出したりするのは、波長の大きな調整が必要で大変なエネルギーを使います。ですから、霊が人前に出ることはまず無いと考えるのが適切です。「幽霊をみた」と面白おかしくテレビなどで取り上げてはなりません。そもそも人間は生きているときから霊であって、違いは肉体があるかないかだけです。そして、死んだら魂だけは残り、永遠の旅路を進みます。そのときに、戦争の犠牲になった20名以上の生徒たちに再会できるのは確かです。

また、霊は慰めてさしあげればその思いは届きます。そして、平和の実現に向けて力を貸してくださります。しかし、人間は違います。霊よりもずっと怖く、気を緩めることは決してできません。心を通わせるなど不可能であるとあきらめました。筆者は心に怖さをもった数多くの人間よりも、魂が綺麗で純粋な霊のほうが明らかに好きです。

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