2025年3月7日金曜日

尊敬できない

『南北相法極意修身録』には、どんなに地位が高くても食の節制をしていない人は尊敬する気にもならないという記述があります。人間の本能のうちでも食欲は強いのが通常であり、世間では成功者とみなされている人であっても、多くの食べ物を口にしてお酒を楽しんでいる場合が当然のようにあります。

しかし、食の慎みからすべてが生まれます。ぜいたくな食事を追求している人に、尊敬できる要素はありません。それを職業にするときは例外ですが、通常は食を節制するのは人としての基本です。

食を慎んでいるからといってほかの問題がすべて解決できることはありません。それは幻想です。食事の節制はあくまでも基本、出発点です。その基本は生活や人生のすべてを律します。食に堕落している聖者は存在しません。給料の多くを食につぎ込んで毎日楽しんでいる人は、一生お金が貯まりませんし、誰からも尊敬されません。

水野南北先生がいうように、多く食べればそのまま「糞便」となって無駄になるだけです。わざわざ糞便になるものを口にするのはいかがなものでしょうか。それに外食は最低品質なものを多く含みます。食べている瞬間だけが楽しくて、あとは何も良いことがないグルメはまるで意味がありません。そのような行為はすべてやめた方が賢明です。

また、テレビでは食の楽しみを追求する内容が多くありますが、それらは見るだけでも精神に悪影響があります。すべて遮断しなければなりません。

2025年3月4日火曜日

意味のない難問

私立最難関大学法学部の英語の入試試験問題を母語話者が解く動画があり、少し見ました。驚くほどの難問が出ています。これは出題者の認識水準を疑います。勉強しても意味はないです。私の元同僚はよく合格したなという感じです。

そしてこのような無理な出題を続ける限り、旧帝国大学に近づくことは決してできません。圧倒的に旧帝国大学が上です。

重箱の隅をつつくような悪問です。筆者はたいして勉強できない、まともな世界に所属していて本当に良かったです。そして、まともな問題を出す大学に進学して幸運でした。

性の乱れた男性

性の欲をいつも満たしている男性は、接していてすぐにわかります。何と言っても透明感、清潔感と無縁となるため、嫌らしい感じが出ます。同棲をしている場合にはもう悪化するばかりで、楽しく幸せと思っているのは本人だけです。

そのような男性は一様に短気です。ちょっとしたことでもすぐに攻撃的になり、口が悪くて言いたい放題なところがあります。もし生活を見直して節制すれば、清潔感が出てきます。しかし、一度性の欲にとらわれてしまうともうあと戻りはできません。

これは考え方、価値観の相違によります。人生において肉欲を追求するのか、それとも精神の気高さを追求するのかの違いです。そこに霊界からの働きかけ、つまり邪霊の働きかけがあるのは否定できません。邪霊に反応するのは動物的な本能を強くもっているためであり、正しい生き方をしていれば邪霊は近づけません。

とはいっても、いまの日本では婚前交渉や同棲が当たり前となっているので誰も聞きはしません。信じる人だけが実践するのが良いことで、世間の評価など気にする必要はありません。正しいと信じる道を進むのみです。

2025年3月3日月曜日

1年前と比べて

日本人の魂の水準を波動測定すると1年前より相当悪化しています。具体的な数値を示すのは控えますが、少し下がったという程度ではありません。『ベールの彼方の生活』を読んでいると、実態がよくわかってきます。

あまり世の中を批判するのは良くありません。しかし、正しい認識を持つことは時に有効です。この点について、仲の良い友人とも話はしません。嫌がられるのは必至だからです。また、霊的な世界を学んでいない人からみれば、たわごとにしか思ってもらえません。 筆者は身内のなかでしか話しておらず、後は霊訓を読みながら指針を得るように努めています。

紙飛行機に出かけないのは正しい判断です。競争心の強いお年寄りたちに入って飛行機を飛ばしていると、風当たりが強くなります。エネルギーと時間の損失につながります。人との会合はよほど慎重に準備しないと難しいです。観光地や温泉に出かけるのも良くありません。一人で出かけても旅先で人に出会うので同じです。

なるべくひとりの時間を持つことです。筆者であれば部屋で勉強やトレーニング、読書、あるいは掃除をするのが一番です。主婦の方であれば必要な時以外には出かけず、家事などを大切にされると良いのではないでしょうか。外食は安心できるお店だけにして、なるべく自分で手作りの食事を用意するのが適切です。

こうして負のエネルギーを受けないように常に心掛ける必要があります。状況は良くありません。簡単に浮上するとは思えず、少しも楽観視はできません。現状を知れば知るほど悲観的になるのはやむを得ません。物質と情報が氾濫するなかで人心が荒廃しているのは確かです。この流れを止めるのは無理です。何か言っても精神異常と思われるだけです。人々が攻撃性を増しているため、意見を言うと正しくても徹底的に叩かれます。皆他人には大変厳しいです。自分が一番正しいと思い込んでいますし、結果を出す人を憎みます。

黙って余計な人との接点を限りなくゼロに近づける努力が求められます。それは大変なエネルギーを使う行為です。不用意に人と関わらないよう常に考えていないと足元をすくわれます。負のエネルギーで健康が損なわれたり、肌が汚くなったりします。美容に一番よいのは人と関わらないように配慮することです。どんな美容方法を実践していても、人と会っているうちは綺麗になりません。趣味の会合や行事、アウトレットモールでの買い物などは極力行かない方が良いです。そして、信頼できるごく少数の人とだけ深くかかわります。信頼できる人が地上にいなければ、霊訓を読むのが良さそうです。

今週もまた行事があります。エネルギーの保持を最優先課題として、注意しながら過ごします。仕事の合間をみて『ベールの彼方の生活』の筆写をしています。描かれているのは本当に美しい世界です。さすがに世界3大霊訓の一つです。地上との差があまりに大きくて悲観してしまいます。まだまだ試練が必要です。性の禁欲くらいでは何の役にも立たなく思えてきます。

2025年3月2日日曜日

代車のダイハツEsse

今日は代車でお借りしているダイハツのEsseを少しだけ走らせてみました。19年前の軽自動車で、走っているダイレクトな感じが楽しい車です。スタイルは控えめでとても良いです。日本の軽自動車の完成度はもうこの時代から高かったのですね。どこにも欠点が見つかりません。それどころか、街乗りではこれ以上必要ないのではと思えてきます。もしかすると、筆者には軽自動車の走りが一番理想に近いのかもしれません。

とはいっても、アルファ ロメオの方がもちろん好きです。無事に直ってくれるといいのですが、ゆっくり待ってみます。

英語のカリスマ

英語の世界でカリスマと言われる人がいます。その人たちが発する情報に触れてきて、本物は少ないと感じます。たとえば過去長年にわたってビジネス英語を講義されてきた方は、お欧米人でさえめったに使わない高度な表現をずらりと並べて、サムライアクセントで読んで聞かせます。数年前に信じて勉強していた内容をいま思い返すと、自分の浅はかさに笑ってしまいます。

英語の経験が少ないとそれらが標準的な英語と信じて学習し、膨大な時間を無駄にします。まったく違います。世界でノンネイティブの方たちが使う英語はもっと簡潔でわかりやすいものです。わざわざ小難しい言葉を使っても煙たがられるだけです。しかも発音まで悪ければ、何の意味もありません。

また、英語が得意な日本人ユーチューバーが情報を発信しています。他大学の経営学教員が教えてくれた動画ですが、見ると単に海外の綺麗な女性を口説いているだけです。英語そのものは確かに流暢ですが、内容が空っぽすぎて話になりません。そして、顔がいいからか女性は簡単になびいてしまいます。

本当にできる方は、もっと格調の高い英語を使います。少し前に亡くなった経営学者 野中郁次郎先生が真の英語の達人です。また、同時通訳の神様といわれた國弘正雄先生も素晴らしい英語を使われます。

英語学習の道のりは長く険しいものです。ただ難しい熟語を覚えたり、欧米人女性を口説いたりするために勉強するわけではありません。英語を使う側の品位が問われる時代です。

高級神霊の個性

『ベールの彼方の生活』の第2巻をノートに整理しながら読み終えました。すでに数回は読み返していて、内容は難しい箇所があります。特に天界の高層を描く部分はイメージしにくいです。地上とは情景が異なるからです。

しかし、本質的なメッセージは『シルバーバーチの霊訓』と共通しています。2巻で登場する守護霊ザブディエル様は、おそらくシルバーバーチ様と同等の高級神霊です。それでも個性が違いますので、伝えるメッセージの表現はかなり異なっていて興味深いことです。

高級神霊まで上昇していくと、皆が同じような個性になるわけではないとわかります。個性の幅はむしろ増すのであり、画一的な性格におさまってはきません。地上は逆で、魂の水準が下がれば、より厳しく言えば堕落すれば、同じような個性の幅に落ち着いてきます。いまの日本がそうで、多くが同じような個性です。

ザブディエル様の助言を日本語でノートに書き写し、その場で英語にして発する練習をしています。相当難しいです。まず語彙が圧倒的に不足している筆者です。「この言葉は何だろうか」と考えます。

続く第3巻にはザブディエル様は登場されません。ほかの高級界の魂が出てきます。3巻以降、特に4巻(最終巻)は高級界の記述が続いてイメージしにくくなります。やはり1巻、2巻がいまの筆者には理解しやすく、面白く読めます。

ザブディエル様が遠い存在なのかというと、決してそのような印象はありません。身近に感じる要素、親しみやすい要素をお持ちです。地上には愛が欠落する人が圧倒的に多いのですが、高級界に進むほど愛情深くなります。とても癒される内容です。今日は英語の勉強をしながら、第3巻の復習をする予定です。アルファ ロメオはまだ直るかわからない状況です。

2025年3月1日土曜日

特殊な車

大学の仕事は無事に終わりました。帰りにアルファ ロメオの修理の相談に行きました。HIDのキセノンヘッドライトは構造が複雑です。車を預けて帰宅したのですが、何度か電話でやり取りして、いまのところ交換できるかわからないそうです。

バンパーを外しての作業となっています。その配線が複雑で、どう加工したのか想像できないといいます。アルファ ロメオの販売店で加工していただいたその部分が、簡単にバルブだけの交換では対応できない構造になっていると聞きました。

イタリアの特殊な車です。やはり整備屋さんには大変な迷惑がかかる車です。日本の車のように整備しやすくは作られていません。普段からこの特殊な車を整備している専門店でないと、戸惑ってしまうのは当然と考えます。

まだ数日かかるようです。また連絡くださるといわれて、申し訳なく思っています。代車にお借りしたダイハツの軽自動車Esseは素晴らしいです。「なにこれ」というほどの面白さがあります。ちょっと古い軽自動車は運転が最高に楽しいです。しかし、アルファが直るか不安なのでどこにも出かけられません。

古い特殊な車を維持し続けるのは、自分で整備できないと難しいのかもしれません。とにかく整備屋さんに迷惑がかかるのが負担です。整備のお金は別に問題ありません。それよりも、心理的な負荷が高いといえます。

もう一台のロードスターはさらに5年古いわけで、部品もなくなってきています。どうなのでしょうか。水野南北先生は古くなって捨てるようでは駄目だと主張されます。そのようなことをする人は、人間に対しても同じ態度をとるといいます。辛いところです。どこかの段階で諦めることも必要です。それがどの段階なのか見極めるのは厳しいです。

ベストジーニスト

先週末に思い出してベストジーニストの最新結果を調べてみました。日本ジーンズ協議会が毎年主催するもので、もっともジーンズが似合う著名人を選出します。2024年度の「一般選出部門」では選ばれた一人は、3年連続受賞の池田美優氏です。3回の受賞で殿堂入りとなりました。

池田氏のことは新春のアベイルの折り込みチラシで知りました。お正月に『頭文字(イニシャル)D』関連商品のチラシをみていると、ひとりだけジーンズをものすごくかっこよく穿きこなしたモデルさんが掲載されており、そこに名前が記載されていて知りました。テレビで何度か拝見したお顔でした。チラシのなかでは一人浮いてしまうほどかっこよく、そもそも日本人なのかと思ったほどです。

ジーンズは本当に魅力があります。そして、一般の私たちにしてもそれぞれ好きなジーンズを選び、一生かけて育てていく楽しみ方ができます。穿きながら自分に合った一着に仕上げる洋服はほかに存在しません。年齢、性別を問わない万能の洋服です。

自分の体型には劣等感があります。それを認めてどう楽しめるかが鍵です。体型そのものは生まれつきです。しかし、努力で体型は良くなりますし、ジーンズは懐が深いため努力さえ怠らなければ受け入れてくれます。

お腹が出ているようではさすがに穿けません。それをカバーしようと土管みたいに太いジーンズでごまかしてはかっこ悪いです。ワイドジーンズは痩せた人が穿くからかっこいいのです。穿く側の努力が決め手です。

本当に奥が深いジーンズの世界です。過去に何本か処分してしまったジーンズで、CUCTASのストレートは保管しておけばよかったです。また、Levi'sの646(ベルボトム)は穿きこなしが難しくてすぐに手放したのですが、いまは生産中止で希少価値が上がって人気があると聞きました。希少性という観点は考えていませんでした。そのとき穿かなくても好みが変わって穿ける可能性があるのはジーンズの魅力です。最新のモデルが良いとは限りません。

今日土曜日は大学の行事で出勤です。早めに終わる可能性はあります。しかし、昨夜アルファ ロメオの右ヘッドライトが点灯しなくなったため、職場近くの車屋さんに行かなければなりません。キセノンガスの社外品が入っているライトで、アルファ専門店でなくてわかるかどうか心配です。新車から乗っている古い車で、いろいろあります。時間があれば夜に勉強道具をもって近くの温泉に行けるかとも考えていたのですが、無理そうです。

2025年2月27日木曜日

トラウマ

いまは気にしない自分の体型ですが、過去にはいろいろありました。そのきっかけは、自分ではなく周囲にからかわれたことです。一番ひどかったのは中学時代の弟からのいびりでした。チビ、短足と何度言われたかわかりません。そのたびにひどく落ち込んでしまい、もうどうにもならないかと悩みました。数百回は言われたはずです。

また、中学時代の友人がよく馬鹿にしてきました。その友人は北海道大学の理系に進み(筆者よりも大学は格上)、背が高くて顔もいい、仲の良い友人でしたがなぜひどいことを言うのかわかりませんでした。その後彼は反省したのか、優しいコメントつきで毎年年賀状をくれます。一度会ってみようと思っています。

このように体のことでひどく毎日言われていたため、その後の人生でかなり足を引っ張られてしまいました。当然のようにトラウマになりました。

私たちが中学生の頃、男子では背が高くて脚が長いことが外見上最優先されました。必然的に恵まれた体格の人は威張っていました。ほかにも筆者を馬鹿にしてきた友人は何人かいました。

ところで、その人たちが現在どうなっているのか、わかる範囲でみると完全に逆転しています。まずお腹が出てしまってスーツさえ似合わなくなったり、髪が真っ白にまた薄くなったりしています。お腹が出るなどは自分に甘い、だらけた生活をしているとしか思えません。人のことをチビとよぶ前に、お腹をへこませた方が良いです。また、脚の長さをさんざん自慢していた中学時代の友人は、20代で髪が薄くなり中年のようでした。

ここに摂理の働きを感じます。つまり、人を汚い言葉でやっつけた人は最後には自分に跳ね返ってくるということです。

それにいまは毎日筋力トレーニングを実施しており、体の線は昔よりも確実に綺麗になっています。特別悩むことはありません。163cmの背は変えられませんが、好きなジーンズを穿ければ十分と思っています。ジーンズは丈を直さずに穿くことも増えてきました。長すぎるときにはロールアップしています。

どんな場合でも人の体を批判することは絶対しません。自分が言われてひどく傷ついたからです。とはいっても、もう過去のことです。いまさら謝罪してほしいとは少しも思いません。それに弟などは現代の日本ではきわめて数少ない、信頼できる仲間です。能力は筆者を軽く超えていて、年収や社会的地位も上です。性の節制ではおそらく日本一の水準にあります。だから、弟はもっとも好きな男性の一人です。

いまだから思うのですが、中学・高校時代の筆者は何でも出来ました。それが面白くなかった可能性があります。だから体の欠点をしつこくついてきた可能性はあります。現在、筆者の能力は特に高くありません。率直にいえば平凡です。むしろ平凡以下かもしれないと思い始めています。ということは、昔よりは生きやすくなったと考えることもできそうです。喜んでよいのか複雑な心境です。

人間の心は怖いものです。そして、言葉は凶器になります。人を切りつけるような言葉を発してはなりません。

さて、次にジーンズをどう穿くかを考えています。自分が好きで見苦しくなければ楽しく穿けます。そのためには体と心のトレーニングを毎日継続することが大切です。ベルボトムジーンズは27インチで思い切って試してみようかなと思っています。いまは多様性の時代で何を着ても大丈夫です。次回は毎年選出されるベストジーニストの話を取り上げます。