普段情報機器を使いすぎて、書いて覚えたり考えたりする方法を取らないからではないかとの仮説をもっています。
筆者は授業で黒板を使い、書いて説明することを繰り返した結果、副産物として自分の学力を高めることに成功しました。もしスライドを使っていたら、現状の水準には到達できなかったと思われます。そして自己満足ではなく、はるかに高学歴な若手研究者たちから一定の支持を得るまでになりました。
手で書かないと得るものは少ないと考えています。しかし、学生にそう伝えても実行する人はごく少数です。画面上で確認し、さらに資料が配布されれば誰も自分で書こうとは思いません。
その一方で、問題解決型の授業が大切であると声高に主張する教員がいます。問題の本質はそこにはありません。書いて学習する習慣がないと、正確な知識が定着しません。知識がなければ意見を言っても内容が無く、単なる時間の浪費です。そのような知識のない学生が集まって討論したところで、遊んでいるのと変わりません。
日本語は誰でも使えると軽視している人が多すぎます。本当は違います。中途半端な日本語使いはいくらでもいます。教員の世界でもそうです。情報機器に頼りすぎない、古来の学習方法を見直すことが必要です。
「これからの時代、綺麗な字を書く必要はないし、書けなくても問題はない。字を書くのはサインする時だけ」と言うビジネス英語の第一人者がいます。堂々とテキストにそう書いています。とんでもない間違いです。
非常勤先の大学は学生全員にPCを配布してみな授業に持ち込んでいます。手でノートを取る学生はごく一部です。その負の影響が出るのは数年先です。
そうはいっても、手で書くのにはエネルギーが必要です。一度キーボードの手軽さに慣れてしまったらなかなか戻れません。気づいた人だけが注意して、手で書く訓練を継続する姿勢が大切です。筆者はタッチタイピング(ブラインドタッチ)はほぼ完璧ですが、極力手で書く時間を持つように配慮しています。安易な方向に流れないよう、常に律しています。
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