これまでの人生で一番勉強したのは大学院を受験する時でした。
当時会社に勤務していて、「大学院を受けたいので会社を辞めたい」と上司に伝えたところ、休職扱いで受験することを勧めていただきました。ありがたいことです。
もう後には引けません。これで合格しなければ同僚にも合わせる顔がありません。そこで、好きなスポーツカー(ユーノス・ロードスター)を迷わず売却しました。車を手元に置いていては勉強に集中できないとの判断です。次に失礼ながら滑り止めに自分の母校、都内の私立大学大学院を受験しました。無事に合格したものの、もっと上の大学院を目指さないと駄目です。
本命の国立大学は過去の入試問題をみても難問ばかりです。英語は必須であと2科目は会場で選択できます。経営学と経済政策を選ぶ予定で勉強しました。
普通の勉強ではまったく足りません。受験する大学の図書館に朝から夜まで通い詰めました。水、食べ物も一切取らず、休憩は合計で30分間だけです。ひたすら経営学と英語などの勉強に励みました。この間、図書館から一歩も出ず、一度椅子に座ると4時間は座ったままでした。眠くなることもまったくありませんでした。
こうして一日が終わると原付バイクで実家に帰り、また勉強してから休みました。1日も休まずに3ヵ月間継続して、試験当日を自信をもって迎えました。試験が終わるとともに「合格できたな」と手ごたえを感じました。とりわけ英語は満点ではないものの、問題を解くのは楽々でした。
無事に合格して会社に報告に行きました。すると同僚全員に驚かれました。数ヵ月前と風貌が全然違うというのです。確かに3キロ程度は痩せたのですが、それだけではなかったようです。
このとき思ったのは、いざというときの集中力の高さです。自分でも意外だったので、確実に自分への信頼が高まりました。当然、食と性の節制は極限レベルでした。水さえも飲んでいませんでした。火事場の馬鹿力は本当にあるのだと痛感しました。とはいっても、実家からの挑戦で両親に支えられていたおかげで勉強に集中できたのです。それがなければ合格には届かなかったと思います。
ちなみに、大学教授の父は「一度就職した人間が一流国立大学の大学院など受かるわけがない。大学院をなめるな」と母に言ったそうです。筆者はまったく知らなかったのですが、常に勉強全国トップ(国家公務員1種は全国3位)の父からすれば、劣等生の私はどうにもならなく見えたのでしょう。合格したことで多少は見直してもらえたはずです。
現在の筆者は常に当時の経験を思い出しながら節制に取り組んでいます。違いは当時ほどの柔軟な頭脳が無いことです。しかし、最近はそれでも良いと思っています。できるだけ節制して生活して、大した業績を残せなかったとしてもその生き方は自分で評価できます。
しかしながら、いまの努力ではまだ目標を下回っています。確かに職場は気難しい人だらけで孤立していますが、別に同僚と心を通わせようとは思いません。表面上のきれいごとを前提とした付き合いは無駄に思えるのと、昨年から複数の教員と対話を重ねてきて、理解し合うことなど土台無理な話であると思いました。いったん彼らに同調しなくなれば、今度は筆者が批判の対象となります。
しかし、いまの筆者は他人の評価など気にしません。それよりも、目標とする大学、大学院受験の頃の自分に負けてしまっているのだけが残念です。なぜ当時の自分に勝てないのかと思ってしまいます。そして、今日も筋力トレーニングをしながら、いつか自分の受験時代を超えてみせると言い聞かせています。それは能力の面ではありません。ひたむきな努力という側面です。努力だけは何歳になっても可能です。
努力せず、教授の地位に安住するようになったらおしまいです。その努力は査読付きの学術論文、学会論文を書くことではありません。もっと大切なことがたくさんあります。