2022年7月30日土曜日

効果を感じる

今日は休日出勤でした。学内に来た高校生とそのご両親に対して大学図書館の説明をする役割です。感染対策で1組10名、8組に対してすべて一人で説明しました。ずっと話しっぱなしです。よくひとりでやれたなと感心します。

人前で説明するのが苦手です。授業は話す内容を事前に調べておき、何年も繰り返せばすべて覚えてしまいます。ですから、それほど難しい要素はありません。しかし、臨機応変の対応が求められる新しい分野の説明は難しいと思っていました。

厳格な禁欲を実行中で5ヵ月経ちます。この間粗食を続け、女性のことは一切考えていませんしインターネットでは何も目にしていません。アダルトビデオは昔から気持ち悪くて人生で一度も観たことがないのですが、これは男性には信じてもらえないかもしれません。でも真実です。こうして2つの欲望の制御を完璧に実施しています。そして、数少ない禁欲の実践者たちは150日を超えると効果が違ってくるといいます。

今日は自分でも驚くほど滑らかに上手に説明できました。過去最高といってよい出来栄えです。最近の授業もすべて納得できる説明と板書で、確実に上達しています。英語もそれなりにうまく読めています。ただし、英語だけはまだ力不足です。

実はあまりに禁欲的に過ごして3ヵ月を過ぎるとさまざまな意欲が低下して、いったいどうしたのかと思っていました。それでも失うものは何もないとの信念で限界まで切り詰めた生活をしていたら、急に少し前からすべてが浮上してきました。

これは何かありそうです。男性の方が効果が大きい可能性があります。しかし、女性でも同様の効果はあると思われます。結婚されているとなかなか難しいでしょうが、私のように独身であればどこまでも追及できる可能性があります。ただし、気を緩めることはできません。

明日もめいっぱい勉強、仕事をしてみようと思います。

2022年7月29日金曜日

二重の禁欲

一昨年、眼鏡のレンズに傷をつけてしまい、はじめてのお店に相談に行きました。女性の店員さんが対応してくださって、私は敬語なのに店員さんは最初から友達のような口調でした。そのようなことは一切気にしないので、「この接客は新鮮で面白い」と思いました。

結局レンズを交換するより、新たに眼鏡を作った方が良いと助言を受けました。眼鏡を一式買って最後に会計をする際に、「こちらに名前を書いてね」といわれて顧客カードに一通り記入し、生年月日の欄を見た店員さんが「まさか、私より年上だったのですか」と急に敬語になりました。学生と思ったそうです。

マスクをしていて髪を逆立てているショートなので実際より若く見られたようでした。

食の禁欲で若くなるかどうかですが、少なくとも太らないので体形は10代のときと変わらないでしょう。太ってしまうと遠くからでも判別できますから、体形は若さの雰囲気を決めます。そのような意味では粗食には外見を若く見せる効果があるといえます。

そして食の禁欲に加え、性の禁欲を生活に取り入れることが大切です。しかし、日本人男性で食と性の禁欲を同時に意識して厳しい水準まで実践している人は、皆無に近いと想像します。もしいたとしても、数人ではないでしょうか。

自分のことを特別に若いとは思いません。体は小さく、公園では見知らぬ子どもになめられます。ただし、年齢より若く見られがちなのは、かなりの禁欲を実践しているためかもしれません。マスクが貢献している要素もありそうです。もちろん俗世間の人間ですから100%禁欲できているとまでは言えません。女性には近づきませんが、中食をする機会はあります。しかし、常に少しでも高みをと考えながら過ごしています。

インドの聖人たちは10年単位で禁欲をとらえています。何事も10年は続けないと成果にはつながりません。もっとも簡単な大学受験の勉強でさえ、2年は続けないと突破できません。私もあと30年くらい厳格な禁欲生活を継続できたら別の次元に移行できるのではないかと期待します。大切なのは自分の心の中をみたときに、汚い要素を極力排除することです。他人が自分の外見をどう評価するかは重要ではありません。

そうはいっても人間の弱さで、自分の見た目も気になるところです。いまはマスクが洋服の一部となっており、外すことに対して抵抗感があります。世の中の人たちはマスクの着用をどう感じているのでしょうか。

2022年7月21日木曜日

趣味との距離

気合を入れて生活を制御していると、さまざまな物への執着がなくなります。一番好きな趣味である紙飛行機でさえ、今年はほとんど作っていません。公園に飛ばしに行くのはごくたまにです。

以前は紙飛行機が大好きで週末が待ち遠しかった時期があります。しかし、紙飛行機に時間を使うと勉強や仕事に多少なりとも影響が出ます。特に公園でよく飛ぶと嬉しくなり、気持ちを引きずってしまうことがありました。

水野南北先生は趣味を「遊芸」と表現し、「楽しいからのめり込んでしまうため最初からやらない方がよい。ただしそれを職業とする人の場合は例外である」と主張します。どんな趣味でもこの言葉を忘れないように、気持ちにブレーキをかけています。

いまは紙飛行機にとらわれなくなりました。この状況ではあえて趣味と呼ぶほどではなく、気分転換の楽しみ程度の付き合い方です。

また、車(特にスポーツカー)は好きですが自宅と職場の往復だけにしか使いません。ただし、古くなって下回りに錆が発生しており、板金屋さんに聞くと修理しなければ車体が駄目になる懸念が出てきました。新車から乗り続けている愛車には少し手入れが必要な時期です。


趣味らしい趣味もなくそれで楽しいのかどうかということですが、特に人生に楽しい要素を求めているわけではなく、どうすれば自分なりの能力を開発できるか、そしてそれを大学以外の場でどう使うかを日々考えています。

能力が高くないので人より節制、努力しなければなりません。両親や弟は私より能力、実績ともにかなり上の水準にあり、多少でも近づくにはまだ努力が足りません。大学や大学院受験程度では、私を含め誰でもそこそこの水準にまでは到達できます。しかし、その先の本当の勉強はもっとはるか高いところにあるものです。

2022年7月17日日曜日

粗食と筋力トレーニング

筋力トレーニングに興味を持つ男性が多いのは、努力しただけ目に見える効果を感じるためです。続けるほどに体は変わってきます。そして、軽いトレーニングであれば苦も無く何回でもできるようになります。

しかし、見た目の筋肉をつけるには多くの栄養が必要です。ここで問題があり、南北先生の粗食を実践しているので見た目の筋肉量はそれほど増えないことです。おそらくお肉などのタンパク質をもっと摂取しなければなりません。ただし、私の場合は筋肉量を大きく増やす必要はなく、粗食をしながらの筋力トレーニングで十分と考えています。もともとぜい肉は皆無です。見た目はそう変わらないのに力は相当出せる状態を目指せば良いと思っています。

太っている男性は代謝の悪さと食べ過ぎの影響が大きいといえます。少ない食事で健康を手にして代謝が良ければ、本来は太らないはずです。学生時代から10キロ以上も太ったというのであれば、食の堕落街道を突き進んでいると容易に想像できます。そのような男性たちが職場で威張っていても、まずは自分の体を見苦しくないように管理しなければ彼らの主張に説得力はありません。

それに対して筋力トレーニングに励んでいる男性は、その努力だけでも評価できます。毎日30分のトレーニングを続けることができる男性がどれほど存在するでしょうか。努力を続ける姿勢が一番大切です。

2022年7月16日土曜日

中学生、高校生、浪人生の頃

相変わらず厳しく生活を律していて、目標地点は中学生、高校生、浪人生の頃の自分に定めています。どんなことでも柔軟に吸収していた当時と比べ、大学教員として教壇に立っているいま、恥ずかしながら昔の自分より能力面では大きく劣っています。

もちろん専門知識が増えて日本語を運用する能力は格段に高まっています。しかし、それ以外の分野に目を向けると浪人時代の私の足元にも及ばないと自覚します。浪人生だった自分がなぜあれほど高度な英文をすらすら読め、楽に入試問題が解けたのかまったく理解不可能です。運動に関しては短距離から球技までそつなくこなしていましたし、他のさまざまな分野で習熟していました。

繰り返しますが、食の節制だけではほとんど能力の開発につながりません。健康になってお金が貯まる効果しかありません(特に経済的に豊かになる効果は抜群に高いです)。常識はずれの粗食を実践してきたからそう断言できます。もっと大きな目標を成し遂げるには、あらゆる事柄を節制しながら努力を数十年続ける必要があります。そうすれば能力が開発されると考えるからです。

人生の終わり頃になって、努力してきたことが多少の成果につながればと思います。あきらめてはいません。あきらめや現状に甘んじる態度は進化を阻害する要因です。

2022年7月1日金曜日

小さな女の子

平日朝7時のJR中央線は混雑していました。新宿駅から母娘が乗車してきて、子どもはまだ小学生になったばかりのようです。床にランドセルを置いていました。立ったまま一生懸命何やら書いています。あとでわかったのですが、ひらがなを上手に練習していました。とても賢そうなかわいい子どもです。母親はまったく気にせずずっとスマートフォンの画面を見ていました。

御茶ノ水駅で私と一緒に下車しました。総武線への乗り換えです。ところが、母親は女の子を見もせず先に降りてしまいました。困った女の子は一人でプラットフォームに足を踏み出しました。後ろで見ていて「落ちてしまうのでは」と怖くなりました。御茶ノ水駅は列車とフォームの間が広く空いています。女の子はフォームに立てたものの、握っていた鉛筆を線路上に落として「お母さん、お母さん」と泣いています。

しばらく向かいの総武線の到着を待っていましたが女の子は泣き止まず、相変わらずスマートフォンを見つめていた母親は「じゃあ、好きにすれば」と言わんばかりに一人でどこかへ移動してしまいました。何ということでしょう。あとを追いかけて子どもは線路の脇を急いで走っていきます。もし落下したら助けなければと思う緊迫した場面でした。

どうみても子どもは被害者でした。こんなに小さな子どもに何という仕打ちかと悲しくなりました。しかし、これが日本の現実です。同じように子どもを愛せない若い母親が多く存在する可能性が高いです。子どもよりスマートフォンが大切なのです。

霊界の方たちに子どもが線路に落ちないようにとお願いして総武線に乗り換えました。この小さな美しい子どもの将来はどうなるのでしょうか。