2025年5月31日土曜日

余計な一言をいわない

備蓄米をめぐって、「1年たったら動物の餌」と発言した政治家のことを新聞で知りました。さすがにこれはまずいでしょう。言葉は凶器になり得る存在です。常に細心の注意をもって言葉を選び、自分を制御しなければなりません。

政治家に限った話ではなく、人間は口が発達しているから言わなくて良いことばかりを言ってしまう存在です。自分の意見を言わずにいられない存在です。その多くは余計な発言で、わざわざ周囲とのあつれきを増します。

たとえば自分が他人より健康で美しく頭が切れると思い込んでいると、はらはらするような言動が出てきます。自己を律するのはとても難しい課題です。男性だけではありません。女性も同じです。

老若男女、すべての人は何も言わない程度がちょうど良いです。買い物をするときにはあれこれ商品に注文をつけてはなりません。外食をする際には、ほかのお店と比べてああだこうだと評論するのはやめた方が良いです。サービスはお店のやり方に任せましょう。あの女優さんの目がきついとか、大統領の顔が悪いとか、会社の上司のお腹が出ているとか、近所のおじさんが不健康そうとか、無限に意見が湧き出てきます。

私たちは会社、学校、家庭まで不要な意見に囲まれて生きています。どこをみてもそうです。いつの間にか日本はそのようになってしまいました。といっている筆者も本当は好ましくないのでしょうか。反省しきりです。筆者は自分がいないところで人に何を言われても1ミリも気にしないので大丈夫ですが(すべての人から批判され無視されても「そうですか」と流せます。ただ、刃物で刺されるのは困る)、そうでない人もいます。何か発言する前に、ちょっとでも「これを言って大丈夫かな」とブレーキをかけると良いです。

やはり言葉を自在に使えると良いことはあまりありません。たまには全国民が「今日は仕事以外では英語だけしか使えない」という日があるとすごく嬉しいです。誰も何も言えなくなります。筆者はもともと日本語でも何も言わないので、四流レベルの英語の実力ではますます無口になってちょうど良いです。英語でなくてドイツ語、フランス語、中国語でももちろん良いです。ただし、それらの言語は英語よりさらに難しいですよ。学生時代にフランス語の厳しい授業で徹夜に近いこともありました。子どもたちは他の言語の練習になって良いはずです。同じクラスの生徒にいじわる言うなら、英語で言ってください。いまの子どもたちにそんな根性ありますか。努力しないから出来ないでしょう。

そうして世の中がしーんと静まり返った休日が1年のうち1日でも実現したら、これ以上の喜びはありません。

私は日本語も英語も話すのが苦手で良かったです。だからいつも発言する前に、自分を客観視できます。ブログでは厳しい発言ばかり続きますが、きれいごとは言いたくないからです。実際の職場でこんな尖ったことは言いません。ひたすら我慢するのと、発言前には慎重に慎重を重ねるからです。

私はスリ・ユクテスワ氏たちインドの聖人を敬愛しています。深く考えて哲学をもっていても、普段は何も言わないからです。

政治家にはインド哲学を多少でも学んでいただきたいものです。あまり言うとしつこいので、このあたりで終えます。

さて、明日は勉強の本を買うために近くのイオンモールに行きます。経営学の授業で使う情報も探します。また、「ラジオビジネス英語」6月号も買います。「出来ないのによくそんな上級講座を何年も聴いているな」「それなのに四流かい。ははは」といわれそうです。もちろん、まったく気にしません。人は批判されてはじめて一人前です。誰にも批判されなかったらもう終わった人です。

英語は誰に何を言われても絶対に続けます。あとはいつか紙飛行機を再開するのが夢です。紙飛行機の目標は日本一の技量を手にすることです。英語とちがって強気です。

無欲と活動の意欲

人間の根源的な欲と諸活動の意欲は一定の関連性があります。あまり無欲になっていると、多くの活動がどうでも良いことに思えてしまい、なかなか行動に結び付きにくくなります。そのような時には小さな楽しみを見出して、多少の気分転換をすることが有効ではないでしょうか。そう自分に言い聞かせているものの、実際には少し違います。授業以外の仕事はほとんどどうでも良いと思ってしまいます。

それらのどうでも良い仕事をてきぱきと片付けるには相当な修練が要ります。食べ物や女性にそれなりに関心があると、なぜか雑用にも手が付きます。そして、紙飛行機のような手間のかかる趣味に時間を割くエネルギーが生まれます。しかし、現在はもうどうでもよくなってしまい、大学の授業と勉強だけに専念できたらいいのにと毎日考えています。何か食べたいものがあるわけではなく、また、女性には関心がありません。女性への関心は過去には時々戻ってきていたのですが、最近は戻る様子がなくて多少心配はします。

禁欲は始めたら生涯続ける人も居るはずです。それはやはり、気持ちが清々しくなるからです。無駄に外食に時間をかけることもありません。会いたい女性がいるわけでもなく、自分のために時間を使えます。その状態は普通ではありません。一般の人からみれば、かなり異常といえる状態です。それを忘れてはなりません。あまり突き進めると世間からの距離が遠くなって、誰とも親交を深めることができません。それを修行というのは何か違う気がします。

修行は誰にも気づかれず、自分のなかで完結させるものです。外から見て、「あの人は修行しているようだから」と感づかれては効果が薄れます。ごく自然に、無理しすぎないところで実践しなければなりません。

どこまでが正常な修行なのか、自分ではわかりません。常に心に歯止めをかけて、力まずに進められたら良いです。

2025年5月30日金曜日

試験の高得点者は

今日も英語の勉強をしながら問題点を引きずっています。試みに日本でTOEIC900点以上の人の平均的な英語力はどのくらいか質問しました。答えは四流でした。

この結果が意味するのは、高得点保持者でも仕事の実践で使える英語力とはほど遠い可能性が高いということです。確かに基礎力はあるのでしょうが、すぐに使える英語力を備える人はごく一部であると思われます。職場の米国人はこの試験制度を否定しています。

改めて実践で役立つ英語が大切であると痛感します。日本人が普段の生活で英語をどう活用するかは実に難しい問題です。大学での会議を英語でやってみてはと思うのですが、そのような提案は現実的ではありません。反対する人が多数出ますし、議論に時間がかかるからです。そして、英語がまったくできない教員たちが困ります。勉強しようとさえしない教員が少なからず存在するのが実情です。

英語学習の立て直し

日本語では四流という言い方は普通しません。三流以下という意味で指摘されたのではないかと考えなおしました。 

ここから英語学習を立て直していきます。shadowingは楽にできます。数年前は全然できなかったので、キャスター、アナウンサーの速度にはついていけるようになっています。発音は録音してみてあまり問題はありません。英文メールはそれほど苦労なく書けます。といっても、メールの相手は職場でたまに会う米国人ですから書くのに気を遣い、面倒になってしまってそう頻繁には書きません。いまは同僚に書こうと思えばすぐに書けます。それは英語学習や大学教育をテーマに書いているので、関心があるからです。話すのと違い、書くのは考える時間があります。文法さえ知っていれば書けます。米国人英語教員は昨日英単語の本を勧めてくれました。割と基本的な本です。

自分の関心のある分野であれば話すことは可能です。ただ、全然関心がない問題などは黙って聞いているほかありません。まだ文を組み立てる力が弱いと実感します。また、語彙が少なくて同じ単語を使いがちです。

学習意欲は十分にあります。自分に合った教材で、難しすぎることはやらないようにしたいと思います。英語を使う場がないのが問題です。どうすれば良いのか考えているところで、一番早いのは経営学のゼミで時々でも取り上げることでしょうか。しかし、四流といわれてしまうと躊躇します。まだ英語に関しては恥ずかしい気持ちが残っています。

現状の日本の英語教育では話せるようになったり、自然な速度の英語を聴きとったりすることができるようにはなりません。比較的やさしい、書くことさえ無理でしょう。いくら小学生から授業を行っても、今の学校教育では習得できません。せいぜい入試問題を解けるようになるだけです。英語を学ぶには家庭のなかの環境から変える必要があります。

2025年5月29日木曜日

四流だった英語の実力

最近は経営学者ピーター・ドラッカー氏の「強みに集中しなさい」との言葉を何度も思い出しています。そこで、昨夜自分の英語力をドラッカー氏に質問してみました。即座に四流との回答がありました。さらに続けて筆者が知る英語の達人たちに聞いてみると、一人だけ三流といってくださってあとは四流でした。

この結果に自分ながら笑いました。面白いです。二流から三流くらいではと感じていました。測定値は目安とはいうものの、どおりで上達しないわけです。しかし、がぜんやる気が出てきました。四流を意識して気楽に努力すれば高望みをしないで済みます。過去に最高に出来たと思っていた大学院入試に合格した頃、おそらくトップ合格だったのですがいま測定すると四流で変わりません。さらに続けて聞くと、あと6年学習を継続すれば状況が改善するそうです。結局一定の水準に到達するには15年は必要という計算です。普通の人より相当時間がかかります。

職場の同僚3人の英語力は「超一流」です。この差は埋められませんが、現状はそうなのです。

では、強みは何か少し測定を続けました。超一流は経営学、日本語、そして紙飛行機の3つです。ドラッカー氏に言わせれば、この領域に注力して英語は無視した方が良いとなります。忘れずにいたいとは思います。意外にも紙飛行機は生まれつきの才能があるようなので、副業に生かせないか方策を考えてみます。

筆者の外見に関しては英語よりもはるかに上の領域でした。少し慰められたような気分です。特に性の完全に近い禁欲が顔に効いてきたとのことです。どの水準かは言いません。背が低いのだけは変えられません。しかし、コンプレックスのある体型でさえ、日本人男性でぎりぎり一流と出ます。163センチなので世界の男性に入ると三流と下がりますが、日本で生活するには十分といえます。

今日も始動は早いです。大学にはもっと早く出勤して、できない英語もそれなりにがんばってみます。まだこれくらいで諦めているようでは全然話になりません。とはいえ、自分の力を正確に知る必要性はあります。同僚と英語で競うのはやめた方が身のためです。

その前に筋力トレーニングです。毎日を体と心、頭脳の訓練で満たしていないと心の満足は得られません。才能があるかどうかは別の問題であり、努力そのものに意味がないとまではいえません。意味がなかったとしても努力をやめてはなりません。ドラッカー氏はあきれているかもしれません。

2025年5月23日金曜日

中高年男性の更生

公の場で失言を繰り返す中高年男性たちがなぜそのような発言をするのかというと、普段から節制していないからです。偉い地位に昇り詰めれば周囲が持ち上げて、勘違いさせてしまいます。自分が一番偉いと思ってしまうわけです。

そのような男性は、食と性の節制を限界まで6ヵ月間行わせるとかなり矯正できます。そうしてはじめてまっとうな議論が出来る基礎が出来ます。おそらく別人になってしまうはずです。外見はがらりと変わります。6ヵ月間が無理ならば2ヵ月間でも十分です。またはその人の限界までで大丈夫です。たとえ1ヵ月間でも相当違います。1ヵ月の間は1日1食で外食は禁止し、お酒は1滴も飲まず、精子は1滴も漏らしてはなりません。堕落した中高年男性には相当壁の高い課題と思えるはずです。彼らにそれを乗り越えるだけの根性があるでしょうか。

しかし、いつまでも失言を厳しく追及するのは良くないです。一度叱れば十分で、あとは本人の問題です。マスコミも世の中も徹底して批判して、最後まで追い詰める姿勢を崩しません。そのような態度では自分も同じ水準にいることになります。一度言って、それ以上はもう言ってはなりません。悪意のない、単に浅はかだった発言をしつこく追及する必要はありません。

自分が節制していれば世の中の批判はどうでもよくなります。自己を高めるのが最優先課題です。

今週もいろいろありましたが無事に終わりました。気になるのは1年生たちがフレッシュだった4月に比べて、だいぶ退廃的な雰囲気が出てきた点です。厳しく言ってはなりません。まだ若いからわからないだけで、若者は更生する可能性を多く持っています。余計な指導や口出しはせず、見守りながら進めます。

2025年5月22日木曜日

最近の性の節制

現在はまるで性の欲が無い状態が続いています。起床時の体に男性特有の現象がないため本当に健康なのかは気になりますが、この状態は決して嫌いではありません。余計な関心がなくなって仕事や勉強に集中できるのと、霊界の高級神霊に見られても問題がないためです。

お酒への欲と情欲、食欲が人間の精神を落とす最たるものです。その3つを完全に制御できればようやくスタート地点に立てます。我慢で抑えていてはすぐに限界がきます。何も苦しくない気持ちで平然と続けられるのが本物です。

といっても、女性に少し関心がある程度はむしろ健全です。まったく関心が無い状態で10年間過ごせる人がもしいたら、体と精神のどこかに異常があると思います。食と性の節制は押しつけがましく考えてはなりません。人それぞれ体の機能は異なります。若い人でも根性で実践できると浅はかな主張をしてはなりません。そんなわけはありません。中高年の男性にとやかく言われる筋合いはありません。若者は健康な体をもっています。老化している人と同列には論じられません。健康な男性が限界に挑戦し続けるその姿勢が尊いのです。

筆者の10代は超完璧な、誰も近づけない領域で生活していました。どんな分野でもそれなりに高い能力を発揮し、いつも綺麗な心でいた時代です。当時のことはいまでも忘れず、節制を心がけて目標としています。

昨夜大学からの帰り道、学校近くのアパートに向かう男子学生と女子学生が手をつないで歩いていました。誰かはわかりませんが、うちの学生です。清潔な関係のままでいてほしいと他人事ながら思いました。現代の日本人は簡単に肉体関係を持つのでわかりません。大学生の恋愛では肉体関係を持たない姿が理想です。この考えは学生時代からまったく変わりません。筆者は高校時代に一人、大学時代に一人好きな女性は近くにいましたがどちらも片思いで、一瞬も相手に情欲をもったことはありませんでした。これは社会人になってからも同じで、好きな女性に情欲を少しも持たないのは自分でも感心してしまうほどです。本当に純粋な気持ちしかありません。

男女が関係をもつのは結婚して子どもを授かる時です。日本人は関係に移行するのが早すぎます。そうして、大切なエネルギーと純粋な精神は短期間でなくなってしまいます。しかし、日本では性交渉の経験が無い男性を馬鹿にする風潮があります。童貞という汚らわしい言葉は、精神の堕落した人が勝手に作り出した造語です。汚らわしい人は他人のことを見下し、平気で下品な言葉を乱用します。

2025年5月20日火曜日

他人に大なたを振るう

人にばかり厳しい世の中で、罰せられる人を身近にみています。常に問いたいのは「あなたは人を罰することができるほど綺麗な生き方をしているのですか」ということです。心の中を隅々までみてもらって、大丈夫だと言い切れる人がどの位存在するでしょうか。特に男性はまずいないと考えるのが妥当です。

自分が綺麗に正しく生きていないのに、何かあればひどく人を批判します。それがいまの日本人です。他人に不寛容であるならば、自ら規律正しい生き方を証明してほしいものです。

典型的なのはセクシュアルハラスメントが起きた時です。加害者に厳しい処分ばかりを追求する人が、お酒におぼれているようでは本来何もいえないはずです。そして心の中では「ハラスメント問題をさっさと片付けて今日帰宅したら、お酒を飲み、そのあとはもうひとつの性的な楽しみがある」と考えています。おかしいです。矛盾だらけです。気持ち悪くて吐きそうです。

他人に厳しく自堕落な生活をしている男性たちです。絶対に友達にはなりません。断固として対立、闘いを継続します。立派なことを言う人の背後に何があるのかはわかります。表面の言葉にだまされることはありません。そのすべてをあばく必要はありません。霊界からいつか罰せられるからです。

人間は弱いものと認識していれば、重い処分はしません。相手の女性に触れていないのに重い処分を課すのは行き過ぎです。その処分している男性が、自分が処分される側に回るはずはないと思い込んでいる姿は笑えます。ほとんどホラーの世界です。

筆者は誰にも負けない気持ちの強さがあります。どんな場面でもそうです。体が小さいから、何も言わないからといってなめてもらっては困ります。人生で喧嘩して一度も負けたことはありません。馬鹿らしいからしないだけです。馬鹿と喧嘩しても時間の無駄です。阿保ならばまだ救いがあります。いまは素手で喧嘩しても誰にも負けない自信はあります。おそらく私ほど気持ちの強い人は男性でもそうはいないはずです。この秘めた力は建設的な方面で使います。エネルギーの温存は大切な課題です。

女性は心が嫌らしくないので、男性よりずっと付き合いやすいです。よほど威張った女性を除いて、決して強い態度はとりません。女性にはなるべく優しく接するようにしています。

2025年5月19日月曜日

外食の遮断は可能か

外食をまったくしない生活様式は努力で確立できます。過去に13年間継続しました。しかし、努力の割には成果につながりません。食を節制するとかつての筆者と同じように、外食を遮断する人が出てきます。それは人を遠ざけることにもなり、あまり勧められません。

週に1度または2度までであれば、外食や中食を利用するのは良いと思っています。時間の節約になり、人との意思疎通を促進するためです。あまり頑固に食を律していては周囲とのあつれきが増す一因となり、自己満足の小さな世界にはまる危険性が高まります。

食の節制はごく自然にできるようになることが大切です。無理をしているうちはまだ修行が足りない状態で、自分の型を確立しなければなりません。

しかし、お酒だけは別です。お酒を飲んでいる、楽しんでいると聞けば「その程度の人か」と即座に判断します。お酒は外食とは異質の存在で、人の快楽につながるもとです。お酒の魅力にはまっている男性は、女性にも常にいやらしい気持ちを持つはずです。この2つの要素は密接につながっているからです。昔から酒色といって、お酒と女遊びにいそしむ男性は軽蔑されます。身近なところでは、ともに楽しんで仕事を失った人も知っています。

女遊びよりもお酒の害の方が甚大です。毎日いつでも好きな時に楽しめるからです。飲めば気持ちがぼうっとなって、悪霊の餌食となります。家事も仕事も勉強も、お酒はすべての時間を無駄にします。それなのになぜ飲むのか理解できません。飲んで失うものがこれほど多いのに一時の快楽に身をゆだねようとするのは霊的に未熟な証拠です。仕事のストレスはほかの方法で解消しなければなりません。

2025年5月18日日曜日

絶対いい開脚スクワット

筋力トレーニングに取り入れたいのは開脚スクワットです。最初は負荷をかけずに始めて、徐々にウエイトをかけると無理がありません。筆者は20~30kgの負荷をかけて毎日行っています。歩くのが楽になるのはすぐに実感します。そして、うれしいのは脚の線が整ってくることです。

脚の線がそれなりに綺麗になるとジーンズが楽しめます。イタリア製ディーゼルのスリム(女性用の26インチ)を穿いておかしくありません。Levi's501など緩めのストレートでも膝下から比較的まっすぐ落ちてくれます。一番小さなSLIDERのベルボトムを穿いてもO脚にみえません。それでも濃紺のSLIDERは派手なので外には穿いて出かけません。

筋肉で脚が太くなる心配はまずありません。むしろぜい肉が落ちて細くなるかもしれません。それでも女性は10kgまでの負荷で止めておいたほうが良いです。無理すると膝を痛める恐れがあります。その際に必ず膝を外側に向ける配慮が必要です。誤って内側に入れると膝を悪くします。いつも意識して膝を外に押し出すことです。決して内側には入れないでください。心配な場合はトレーニングの専門家などに相談した方が安心です。

トレーニングは開脚スクワット、腕立て伏せ、腹筋の3種類だけでも目にみえて効果があります。女性の場合はこれら3つを毎日10分間行えば、さらに体の線が整ってくるはずです。男性と女性では本来女性の方が曲線が綺麗です。そこに磨きをかけると良いのではないでしょうか。また、男性は脚を細く引き締めて、やや緩めのジーンズを穿くのが良さそうです。

DAISOの健康足踏器

最近2年間近く使わなくなっていたDAISOの健康足踏器についてです。足の裏のどこを踏んでも少しも痛くないため、使用しなくなった経緯があります。ところが波動測定してみると、健康については最高峰といえる効果が見込めます。わずか110円ながら、世界で販売されているあらゆる製品のなかで人類への貢献度は最高水準です。

1回3分間程度で朝晩2回行えば十分かもしれません。刺激が強いのでやりすぎないような配慮が要ります。踏んでみてどこか痛い場合には、体に不具合があると考えられます。そして、痛くなくなってもやめてしまわず、継続することが大切です。その重要性を見落としていました。

波動測定してはじめて知りました。DAISOに行くと山のように売っています。1家に1台は備えたい製品です。この健康器具が110円で手に入るとは驚きます。まだ使ったことが無い方には強くおすすめしたいです。青竹踏みも持っていますが、竹は高さがあっても刺激が弱くて入門者向けです。DAISOの製品が痛くてきつい方は、青竹踏みが良いです。

キムチから厚手のビニール

キムチは最近飽きが生じていて、あまり食べなくなっています。そのきっかけはモランボンの韓国キムチを食べるようになってからです。スーパーマーケットで入手しやすく、価格が抑えられているので買い続けていました。酸味が相当に強く、賞味期限が近づくと発酵が進んで大変に強い臭いが出てきます。にんにくが多いのかもしれません。

先週食べていたら、中から厚手のビニールの切れ端が出てきました。数センチある大きさで目視ですぐにわかりました。ビニールといっても相当に厚手でプラスチックに近いものです。製造工程にやや問題がある可能性はあります。そこで、これは何かの情報と思い、まだ1パック未開封の商品があるのですが迷わず処分して他ブランドに切り替えることにしました。

売り場に並んでいる韓国キムチでは宗家(ジョンガ)があります。フーチで測定するとかなりの高品質です。また、ハンウルのキムチは白菜がまるごと入っている手作りタイプです。最高品質の逸品です。ただし、滅多に売っていません。

当面は韓国で市場占有率首位ブランドの宗家を楽しみます。たいていのスーパーマーケットにはあります。キムチは健康食品です。飽きがこない商品が一番です。牛角のキムチも良品です。しかし、筆者には飽きやすい味です。好みがあえば牛角もおすすめできます。

2025年5月16日金曜日

実家から通える大学

大学生は出来る限り実家から通える大学に行くことを強くおすすめします。一人で生活を始めると自然と規律が崩れ、食と性ともに乱れていく傾向は否定できません。実家から通うのであればある程度の規制が常にあって、行動に歯止めがかかります。

筆者の高校時代の友人は、遠方の上位旧帝国大学に合格して一人暮らしを始めてから急に能力を落としました。本来は天才に近い能力があったのに、すっかり平凡になってしまいました。食と性は生活の基本であり、厳しく律することが大切です。

地方から東京都内の私立大学に進学する必要性は皆無です。東京で生活するようになると短期間で擦れてしまいます。純粋な要素は地方にあり、なるべくなら地元の大学に進学するのが一番です。入学してみるとわかるのですが、地方の高校生の方が純粋です。急に地方から都内の私立大学に進学すると、環境があまりに違いすぎて戸惑う可能性が高いです。筆者がそうでした。どんなに良いイメージのある大学でも状況は同じで、実態とはかい離しています。大学のブランドは実態とは一切関係ありません。虚構とさえ考えています。

地方と都内では高校生の個性に大きな違いがあります。地方の受験生はそれを知らずに都内の大学にあこがれる場合が少なくありません。事実は違います。まずは近くの大学を探すことです。もし筆者の親類などに大学受験を控える人がいれば、地方から都内の大学への進学はすすめません。仮に自分の子どもだったとしたら、何が何でも説得して地元の大学を受験させます。

偏差値はあまり関係ありません。全体の平均を超えていれば十分と考えられます。あとは入学後にいくらでも可能性があります。勉強は自分でやるものなので、授業には期待しない方が良いです。現場をさんざんみてわかっているので嘘ではありません。

高校生たちからはどうしても都心部にある大学がよく見えてしまいます。単なる幻想です。入学してみれば幻想だったとわかるはずです。しかし、たまに勉強がとてつもなく出来る同級生に出会います。それは良いことです。要はどの大学に入っても大して違いはありません。それでしたら、わざわざ遠くの大学に行かず地元に居た方が良いのではないでしょうか。

もし地元の大学(偏差値55)と都心部の大学(偏差値60)の両方合格したら、迷わず実家に近い大学が良いです。偏差値5の違いは実感できません。偏差値が10違うとどうでしょうか。筆者ならば10低くても地元の大学を選びます。しかし、受験生の頃であれば都心部を選ぶでしょう。まだ何も知らないからです。繰り返しますが、偏差値はあてになりません。たとえば難関国立大学に落ちた人たちが多く入学している私立大学の場合、実態は良くありません。入学後に勉強への動機づけが悪くなって、どうしても国立大学のことばかりを気にする学生が目立ちます。実際にそのような都内の私立上位大学は一定数存在します。

2025年5月15日木曜日

断食していません

最近2週間は断食をしていません。平日は1日1食、週末は2食で過ごしています。このところ少しお腹が空くようになり、以前のように楽に断食はできなくなっています。理由はよくわかりません。最近数年間ではお腹が空く感覚は1日、2日食べなくてもありませんでした。

体重は変わらず48kgです。空腹感があるのは体が要求しているのかもしれないと思い、無理はしないで軽めに食べています。量は少ないです。

気分は比較的良好です。早朝に筋力トレーニングを行い、7時15分には大学に到着しています。出勤が15分早まっただけでなく、朝に研究室で実践する英語の勉強も進んでいます。体の状態は良いような気がします。気持ちに張りがあるためです。

新入生の反応が良いのは珍しいです。

英語はシドニィ・シェルダン氏の小説と音声も使っています。文章が素晴らしいです。丸ごと1冊が文法書といえる究極の美しい英文です。どこにも難しい言葉は出でこないのに、話がとても面白いです。

普段は素晴らしい柴田真一先生のNHKラジオビジネス英語と上智大学 前嶋和弘先生の気品ある現代英語を毎日復習しています。お二人とも日本語が最高に綺麗です。トラウデン直美氏の話も楽しいです。NHKの講座は最新の用語を覚えられるので良いです。ここにシドニィ・シェルダン氏の本が加わると調和がとれます。どれも非常に楽しくて勉強が充実しています。

今年は1年生に帰国学生(いまは帰国子女という言い方はしないそうです)がいて、私の経営学の授業を取ってくれているのでいつか本場で身につけた英語のことを聞き、助言してもらいます。教壇からみていて少し外国人の雰囲気をもった受講生がいたので、その学生さんかもしれません。名簿(片仮名のミドルネームあり)だけで知ったので顔はまだわかりません。

2025年5月13日火曜日

勉強の快楽は

勉強だけはいくらやっても問題ありません。勉強しすぎて死んでしまう人はいません。得られる快楽は苦労の末に手に出来る、ほんの小さなものです。能力の高い人が勉強に没頭して、はじめて大きな成果を手にします。筆者のようにごく平凡な人はどんなに勉強を重ねても、歴史に名を残すほどの成果は出ません。

ほとんどの人にとって勉強は人生修行そのものです。多少知識を増やしたからといって、世の中を変えることはできません。それでも勉強を続けるのが美徳であり、最後には自分にとって価値のあるものが必ず手元に残ります。

最低でも数十年の努力は必要です。10年位では努力したうちに入りません。たった10年の努力で成果が出ないと言っているようでは、凡人の修行を1%も理解していません。どうせ成果が出ないからと途中で投げ出すのでは、最初からやらなければ良いと考えています。

結果が出なくても続ける必要があります。そのうち自分の力が発揮できる領域がわかってきます。それには苦手な分野にも正面から取り組まなければなりません。

2025年5月11日日曜日

人はなぜお酒を飲むのか

5月11日付けの読売新聞に吉本尚 筑波大学准教授による記事があります。注目したいのは次の箇所です。

「お酒を飲んで気持ち良くなるのは、快楽をもたらす脳内の『報酬系』と呼ばれる神経が活性化するためです。毎日飲酒していると、この報酬系がどんどん刺激され、さらなる刺激を求めてもっと飲みたくなります。お酒を飲まない日を設けるのは、報酬系を落ち着かせてお酒に依存している脳の働きを正常化させるためだと考えることが重要です」。

すべての人間の欲望は、このような脳内の報酬系の刺激によって生じると思われます。毎日お酒を飲んでいると脳の働きそのものが破壊され、精神がおかしくなっても不思議ではありません。

吉本准教授はさらにこう言います。

「世界的にも、強力に禁止の方向に進んだたばこと異なり、アルコール対策は飲料会社などとも対話しながら進められています。人とお酒との付き合いはなくなることはないだろうと言われているからです」。

たばことお酒では次元が違うほどお酒の害が大きいです。たばこで得られる快楽は小さいからです。世の中はたばこばかりに厳しく、お酒に甘いといえます。

そして、お酒と並んで強い快楽が得られるのが男女の肉体関係です。頻繁に楽しんでいたら脳の働きは正常ではなくなります。ほかの日常生活からは強い刺激が得られないので、恋愛中毒に陥ります。

また、ゲームやスマートフォンにも似たような快楽入手の刺激があります。気を付けなければなりません。

趣味は適度に距離を置くことができれば大丈夫です。すべてを捧げて没頭するような趣味はいけません。それだけしか楽しくなくなって、社会生活を送れなくなります。仕事を引退した人でも、趣味に入れ込んでいると精神に問題が生じる可能性がきわめて高いです。

豪華な食事による刺激も考えられます。しかし、お酒や男女の肉体関係に比べると刺激の度合いは格段に下がるため、外食を時々楽しむのはまったく問題ありません。仕事中、勉強中にいつも外食のことを思い出すほどのめり込む人はいないでしょう。

この記事を読んで、職場の経済学者たちを思い浮かべました。内面がどんどん悪くなっていて、筆者とはもう何の接点もなくなっています。気の毒な人たちです。自分でお酒をやめる努力をしなければ回復は見込めません。

2025年5月9日金曜日

あんぱんやめてトレーニングへ

最近1ヵ月間はテレビを一度もつけていません。インターネットの配信サービスで唯一観ていたのがNHKの「あんぱん」です。寝る前の日課にしていました。

しかし、今日限りで視聴をやめて、その時間を筋力トレーニングなどに有効活用します。楽しかった子ども編はあっという間に終わり、大人編に入ってから筆者の価値観と大きく衝突しているからです。

特に今週は美術学校におけるヌードモデルのデッサン授業とそれをみた生徒さんの卑猥な発言、美術教師によるモデルさんのデートへの誘いと、とても低俗な内容が続きました。ここまでは我慢して、それでも良いところもあるドラマだと感じていました。

しかし、木曜日の放送が決定的でした。戦場に行く豪さんに、まさか自分の娘を提供する母親を描くとは思いませんでした。恐ろしすぎて気分が悪くなりました。不潔です。この時代に戦争を経験した方たちが観たらどう思うでしょうか。

また別の場面では、のぶさんが電話越しに怒鳴り散らしてたかしさんを落ち込ませました。信じられません。たかしさんが正しいのは明らかでした。この優しい男性に罵声を浴びせるとはひどいです。こんなに気が強くて怖い女性には決して近づきたくありません。あちらも私には近づきたくないでしょうが。

いまとなってはたかしさんが一番いいです。静かで余計なことは言わず、女性にも関心を示しません。いつも控えめで気品を感じるようになり、人柄は少年のようです。また、パン職人のやむさんがいいです。勇気をもって戦争を批判している姿は立派です。

竹野内さんと戸田さんは理想的なあこがれの夫婦です。霊的にみて理想の結婚とはこのようなものをいいます。お子さんがいないから、綺麗な男女の関係を築けたのかもしれません。そして、松嶋さんは少し悪女の役であるもののかわいい面もあって憎めず、卓越した美しさを見せてくださいました。

美しい豪さん、ちひろさんを含めて良い俳優さんがたくさん出演されています。しかし、脚本にかなり問題があります。品性がなく、観ているとストレスがかかります。筆者はこれ以上は言いません。失礼しました。

ちなみに、前作「おむすび」は視聴者に批判され続けた作品で筆者は時々拝見しておりましたが、どこにも問題はなかったです。はじめてNHKのドラマを観たのがこの作品でした。ギャルの生き方に共感でき、そして男女の関係をあっさりと描いていました。時々観た範囲では恋愛を描く場面がありませんでした。それがドラマの品位を上げていた印象があります。主演の橋本環奈さんはマスクをしている場面でもとても綺麗な瞳で声がやさしく、誰に対してもどんな場面でも強い言い方はしませんでした。いつも同じ態度でやさしい目の表情と綺麗な声を保てるのはすごいことです。たまに登場する書道部の先輩は、最初女性好きなのかと思いきや実は硬派でかっこよかったです。作品としては「おむすび」は「あんぱん」よりも相当に上で、嫌味がありませんでした。子どもでも安心して観ることができます。

最後に「あんぱん」で理想の男性は竹野内さんです。実際には存在しません。このような完成された男性は地上に再生してくる必要性がないためです。なお、このドラマの評価をフーチを使って天国のやないたかし氏に直接聞いてみました。結果は0.06点(100点が満点として)でした。ほぼ架空のドラマであると考えられます。

熱心な新入生たち

今年の新入生は過去数年でもっとも勉強への姿勢が良いです。入学者数が大きく減ったものの、資質の面では逆に良くなっています。大きな教室の授業で通常は後ろの席に座る学生が多いのですが、最前列に座る学生たちがいます。そして、教壇で話していてこちらに注目してくれるので、新鮮な雰囲気があります。授業後に質問やコメントもあります。少し皆の視線が強すぎて、筆者があまり目を合わせないように配慮するほどです。

連休中はこどもの日を除いてすべて授業でした。決して休まず授業に出ています。官僚は「学生を出席するだけで評価しては駄目だ、あくまでも修得度で評価しなさい」と現場を知らずに言います。しかし、この連休中に実家に帰らず大学に通って熱心に学んでいる姿勢は評価に値します。あとは卒業までいまの姿勢が続いてくれることを期待します。

非常勤先の大学で受講している学生は2~4年生で、大教室の後ろにかたまるのは例年どおりです。今年度はアジアからの留学生が数人受講していて、授業後に教壇のところに来てくれます。皆さんとても滑らかな日本語を使い、授業も理解できているそうです。

全体でみれば若い人たちの方が付き合いやすいです。それに柔軟な学習への対応などは学ぶべき点があります。人間は年を重ねるごとに自信過剰になり威張ってきます。若者の方が筆者の感覚に近いといえます。

2025年5月8日木曜日

恋愛偏重主義

食と性の節制を常に心がけていると、恋愛を重要視する生活から大きく離れます。ほかに優先度の高いことが多く存在するからです。自分を高めるための、仕事に役立つための勉強をしたり、世の中への貢献を考えて準備したりするようになります。

恋愛を人生の中心に位置づけているうちは、まだ本当の人生の段階に立っているとは言えません。恋愛はどうしても自分たちの世界で完結し、小さな世界で利己的な満足感にひたることが増えます。世の中全体への関心は薄くなります。

それでも、極力肉体関係をもたなければ深みにはまってしまうことはありません。常に自制心が効きます。恋愛で体の関係を深めるほどに、真理からは遠ざかります。そして、特に男性はエネルギーの大量放出により短期間で老化します。女性の老化は男性のそれよりも少し遅れて表面化します。

簡単に手に入る快楽には代償があります。代償もなく快楽が手に入ると考えてはなりません。本能は誰でも努力せずに満たせます。そこに落とし穴があります。食、性ともに節制しないと老化するのは明らかです。

いくら遊んでいても老化しない人がいるようにもみえます。しかし、その人が80歳を過ぎた頃になると事情は違います。誰の目からみても老化しているはずです。

2025年5月7日水曜日

女性の課題

シルバーバーチ霊がいうように、女性の課題は感情の制御をすることです。いつも平らで穏やかな心を持てるよう、自制しなければなりません。男性とは異なる課題です。

「あんぱん」で美術の学校に通う主人公たかしさんがのぶさんに手紙を書きました。後半に「銀座にはたくさんの美人がいる」と書いて、のぶさんの怒りを買います。彼女の反応は女性の弱さを明確に表現しています。自分の大切な男性が、ほかの女性に少し関心を持つだけでも許せないというわけです。

たかしさんは深い意味があって書いたのではありません。最後の絵をみればわかることです。このようなのぶさんの感情と行動に賛同する人は、まだ修行がまったく足りません。成熟した女性ならば、ほほえましいと軽く受け流すことができます。努力など何も必要としない、ごく簡単な基本です。

男性が多少女性に関心があるのは当然です。目くじらをたてて怒る必要はありません。女性は男性とはそんなものと知っておかなければなりません。もし女性に100%関心がないという男性がいたら、健康でないか老化しているか、嘘をついているかのいずれかです。むっつり助平が一番たちが悪いです。隠している男性は本当に怖いです。

ところで、ドラマには別の問題がありました。授業で女性をモデルに絵(デッサン)を描いている場面です。NHKなのになぜ、と驚いてしまいました。倫理的に問題を含みます。そのあと先生が女性をデートに誘い、断られる場面までありました。さすがにここはまずいです。あえてこのデッサンの場面を入れる必要性があったのかどうかです。視聴者から苦情が多々ありそうです。筆者もこの場面は問題があるという立場です。悪ふざけしすぎです。たかしさんの友人けんたろうさんの発言も下品でした。

男女の関係とは本当に難しく繊細です。いつも適切な距離が必要です。そして、少しでも清らかな関係を築く必要があります。しかし、人によってその価値判断には相当な幅があります。自分の考えを押し付けることは控えなければなりません。

2025年5月6日火曜日

今日も授業

世の中は連休最終日です。大学は今日も授業があります。今年度は多くの学生たちが帰省できず、特に新入生たちは疲れがたまってきている頃です。少し気の毒です。

大学の授業は学びの一つの場にすぎません。現代は無料でも相当な量の知識が得られるようになっていますから、学生は授業にとらわれる必要性は低いと思われます。それでも、デジタル化による弊害ははっきり出ています。画面をみてわかった気になるだけで自分で汗をかいて勉強する機会が減ります。試験で論文を書かせてみるとその弱さは明確です。以前の学生よりも全然書けなくなっています。レポートを課すと無難で表面的な内容に終始します。生成AIの回答を参考にしている可能性があります。間違ってはいませんが少しも面白くないレポートばかりです。

このような時代になると、効率が悪いといわれる古典的な学習にこだわっている人の強みが光ってきます。10年経過するとかなりの力になります。読売新聞社は教科書のデジタル化に強く反対する見解をもっており、スウェーデンの取り組みと併せて記事がよく載ります。スウェーデンではデジタル化が生徒の学力、集中力を大きく落としたとみなして紙の教科書に戻しています。

世の中の流れでは紙の教科書に黒板を使った授業は古臭くて役に立たないとの立場です。事実は異なり、そのような古い授業からこそ学ぶものがあります。日本人はそれを捨ててしまっています。現場でそのことが分かっている教員はごく少数です。生徒、学生はほぼわかりません。デジタル化の弊害はこの先10年で誰の目にも明らかになるはずです。

教育方法ではアクティブラーニングなど片仮名ばかりの遊びが広まっています。知識の蓄積のない生徒たちが議論しても何も生まれません。もうそのことに気づいても良さそうな気がしますが、筆者の大学でもアクティブラーニングを声高に主張する教員が目立ちます。決まってそのような教員は会議で和製英語、片仮名ばかりで強く説明しています。「それならばまともな英語で話してください」。いつかそう発言してしまいそうで怖いです。

2025年5月4日日曜日

粗食と髪の毛

1日1食や粗食にすると栄養不足で髪がへたって少なくなるという主張があります。完全な間違いです。まったく関係ありません。筆者は同年代よりも相当に食事の量は少ないですが、逆に髪の毛の量は平均値よりはるかに多いです。しかも、手で触ると強く跳ね返ってくるほどしっかりと生えていて、伸びは1ヵ月間に2センチ以上です。毎回バリカンで刈り込んでなるべく1ヵ月間持たせます。

美容室ではバリカンで刈る時、美容師さんの手のひらに切った短い髪が刺さることがあります。自分でバリカンを入れるときも同じで、手のひらに時々刺さります。ちょうどトゲが刺さるのと同じ感じです。そんなに珍しい現象ではありません。

また、髪の毛はたまにしか洗いません。夏だけは毎日流しますが、冬は1週間に2回しか洗いません。5日間洗わない週もあります。その代わりとして、1ヵ月半に一度の割合でヘナでトリートメントをしています。髪の健康を保つためです。

さらに白髪はまだほぼ無い状態です。粗食をしていても変わりませんので、髪はほかの要因と関連していると思います。それが何なのかはよくわかりません。ひとつにはヘナのトリートメントが効いているはずです。さらに性エネルギーを昔から温存しているので、そのせいかもしれません。弟も母も性エネルギーを温存するタイプで髪はふさふさです。祖父もそうでした。お酒を飲まないのが良い可能性はあります。家族全員お酒を飲みません。飲めるけれども飲まない、ということです。お酒を徹底して嫌っています。筆者は一応お酒は飲めます。ウイスキーはストレートでも大丈夫です。水割りにはしません。特に「響」は美味しいとは思います。

食べ物の栄養がそのまま髪の毛に流れると考えるのは安易です。人間の体は神秘的です。髪に不安がある場合、性を含めたほかの要因を検討した方が良いです。

2025年5月3日土曜日

土鍋で炊く

白米は土鍋で炊いています。最近実家で教わり、炊き方を変えてみました。味が全然違います。そして、食べていても軽いです。電気ではここまでの味は出ません。火で炊くからこそ、本当の美味しさが出ます。

外食で使われるお米はほとんどが最低品質です。お米の価格は高止まり傾向が続き、飲食店ではさらに質を落としてくるはずです。なるべく自宅で炊いた方が良いですし、『修身録』を実践するには最適な時期です。

白米と玄米ではできれば白米が良いです。玄米は消化するときに体に負担がかかり、また、アクを取り込みます。しかし、波動測定しても玄米で寿命が大きく縮むことはありません。好きな方を選択するのが良いと思われます。

白米の糖質を気にしすぎるのは良くありません。食べ過ぎないようにすれば問題はなく、おかずに注意することの方が大切です。なかでも魚類は厳禁と考えた方が安心です。食べる場合には小さい魚にすることが大切です。大型の魚を生で食べると、ほかの健康努力がすべて帳消しになるばかりかマイナスになります。鮪のおさしみ1切れで考えられないほどの猛毒を取り込みます。海が汚染されているからで、お寿司は絶対に避けなければなりません。

2025年5月1日木曜日

強くなったら

人間は気持ちが強くなったらうまく生きることができます。世間の厳しさを軽くかわし、何事にも動じない平常心で臨めます。そのような境地を目標に努力を重ねる人もいます。

しかし、本当にそれが最高の人間に近づくことになるのでしょうか。単純化した理想像はすぐに崩れます。人それぞれ違った魅力があり、個性と強みは規定できません。筆者の感覚でいえば、気持ちが強くなってどんなときにも多様な仕事を楽々とこなしている人がいたとして、その人に魅力を感じるとはとても思えません。近づきにくい人だな、と本能で避けます。

特に女性は本来、気持ちが優しく繊細な存在です。強くて困難に負けない人になったら、その女性は生まれついての魅力をなくしてしまいます。これは盲点かもしれません。男性の側からみれば、自分と同等かそれ以上にしっかりとした強い心をもった人に魅力を感じません。デートに誘おうなどとは決して思いません。うっかり声をかけたら怒られそうです。また、小さな子供たちは本能で人を見抜くので、強いだけの女性は仲間、友達とはみなさないでしょう。

強くなれば良いという単純な話ではありません。強くなればなるほど孤独さは増します。皆が警戒するからです。動物も近づいてはきません。弱かったとしてもそれは個性で、無理に変える必要はありません。弱い人は心が繊細で優しい場合が多いです。世の常識にとらわれてはなりません。筆者は心が弱い人の方が好きです。禁欲して体を鍛えて見せびらかし、いつも会議で発言してリーダーシップを発揮し目立っているような男性がいたら、友達にはなりません。そんなおじさんといても楽しくありませんし、気持ちが休まりません。

人間は心を鍛えて真に強くなれば、会議で余計な発言などしなくなります。人を支配しようとはしません。インドの聖人たちは皆無口です。無口でいることは大切な要素です。いつも余計な発言を繰り返している男性は、軽薄で男らしさがありません。仮に英語を流暢に話せても何の価値もありません。中身がないからです。中身があれば、一言も話さなくても良いくらいです。所詮言語は単なる道具です。