最近はどんなことでも見える化が大切とされ、必ず数字で示すことが求められています。
大学はすべて偏差値で比較し、65と60の大学であれば誰もが65の大学が良いと判断します。レストランの口コミ評価は平均4.0と3.5のお店がある場合、4.0のお店を選択する人が多いでしょう。英語力はTOEICの得点で実力が判断され、900点あれば「すごいね」となります(世界でTOEICを重視するのは日本と韓国だけです)。
車は馬力の高い製品に優位性があり、機械式腕時計は1日当たり何秒のずれがあるかどうかが大切となります。紙飛行機では滞空時間で評価が決まります。体重、血圧その他すべてが数字で判断されます。
企業や他の組織での仕事も、ほとんどが数値に換算して結果を測定します。
こうしてエビデンス(evidence:目に見える証拠)ばかりを重要視する人が組織内の上に立ってきます。数字が一番大切とみなして聞きなれない片仮名ばかりを並べ、何が言いたいのかまったくわかりません。
「片仮名ではわからないから英語か正確な日本語で説明してください」と私が会議で言えたらどんなに気持ちの良いことでしょう。いつも退屈な会議の間、心のなかで繰り返しています。
努力しない学生の論文も片仮名用語ばかりです。先日、「将来は大学の教授となって30歳の頃には英語がペラペラになることが目標です」と大教室で発表する学生に会いました。しかし、教授になることより「英語ペラペラ」になることの方が難しいです。経験上間違いありません。自信満々の学生にはがんばって目指してくださいとしか言えません。
日本における数字と片仮名の蔓延はずっと続きそうな勢いです。こんな日常に疲れたら、外部との接触を遮断する時間を持つよう心がけています。浅野和三郎氏が翻訳している『霊訓』を読むと、精神の気高さと日本語の美しさとをしみじみ感じます。
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