魂そのものには男性女性の区別はありません。肉体上の構造が違うだけであって、本質は同じです。ただし、性別により個性が違ってきます。そして理想は男性と女性が互いに補う形の愛を実現することであり、シルバーバーチ霊もそういいます。
残念ながら愛が大切といいながら、結局は動物的な本能を愛と勘違いしている場合が多いのが日本の社会です。だからすぐに肉体関係をもち、婚前交渉を重ねます。そこに魂の純潔さは存在しません。むしろ性的な潔癖さを求める、いまとなっては稀となった人たちを軽視する風潮さえあります。
楽しみたければそれは自由です。しかし、純潔さを置き去りにした人生からは失うものが多くあります。
動物的本能はそれ自体悪いものではありません。しかし、それにとらわれて純潔さを失うのであれば、本末転倒であり弊害が次々と出てきます。その一つが体内エネルギーの大きな損失であり、知的能力や運動能力のすべてが低下します。そして老化の道を下り続けます。最後には病気、寝たきりなどの原因にさえなります。
人間のもつ本能のなかでは食よりも性の制御が難しいといえます。食の制御だけ完璧にして性を自由に楽しんでいては人生の開発はとても無理です。快楽には必ず代償が支払わされるように摂理ができているからです。ここに、基本としては禁欲的に生きることの大切さが理解できます。
慎みが大切です。慎みの心からしか綺麗な思想と行動は生まれません。それでも美しい心から高い能力と実績が形成されるとは限らず、難しい点です。その思うようにならない難しさが人生です。わずか数十年、長くて百年の地上時代の時間軸で把握するには難しいのは当然です。
人の魂は死後も確実に残ります。その時に持って行けるのは鍛えた魂だけです。お金や財産、地位もすべて無意味です。数億円の預貯金、立派な自宅、高級外車や腕時計などは死ねばすべて無に帰します。それらの物質に執着していても、魂の向上にはほとんど役立ちません。
魂だけは違います。修練を積んだ魂は次の段階に進むための、もっと高度な訓練に移行します。それが永遠に続き、いつまでたってもこれで終了、最高の地点に行きつくということはありません。永遠に修行し続けるのが魂のあるべき姿です。
なぜ神はこのような世界を創出されたのでしょうか。高級神霊のシルバーバーチでさえ、それはわからないと言い切ります。シルバーバーチ霊にわからないことが人間にわかるはずがありません。究極のところは誰にもわかりません。
そして神は人間を拡大解釈したような存在ではありません。万物を支配する自然法則、それが神です。大霊ともいわれます。私たちは過去の誤った神の概念を正し、死後永遠に続く魂の旅の準備をこの地上生活でしなければなりません。
人には自由意思があります。どんな場面であってもどう行動するかは自由です。その行動の背後にあるのは、慎みから生まれる的確な判断です。そして、慎みを形成するには永遠といえる時間が必要です。いま生きている地上生活は序章であり、人は「幼稚園」で学んでいるにすぎないと考えるのが妥当です。
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