「鬼滅の刃」に登場する鬼は悪の象徴でありながら、内部には神が宿っています。内部の神性の火花を大きく育てれば時透無一郎さんを含めた「鬼殺隊」のような善としての人間が完成し、その火花が消えて魂の奥に埋もれていると鬼となるだけです。
鬼には鬼の哲学があります。このアニメは鬼が存在することで善の強さ、魅力が大きく引き出されています。本当は目にを目を、という立場では問題の解決にはつながらないものの、理屈が通じない鬼には戦いを挑むしか選択肢はありません。
鬼のなかでもっとも強いのは「上弦の鬼」です。上弦の肆(し)は4番目に強い鬼で、敵ながら見事な強さを示します。
(出典:ufotableのウェブサイト)
ほとんど不死身に近く、その本体がどこにあるか見極めないと仕留められません。実によく考えられた設定です。そして、上弦の肆である憎珀天はある意味究極の美しさを備えています。
作品が伝えたいことの意味を知るには、表面だけを観ていてはわかりません。奥に隠された意図はさまざまなことを勉強しはじめてわかるのかもしれません。特に『シルバーバーチの霊訓』を読んでいると、鬼の存在理由がみえてきます。
筆者は鬼が憎い存在とまでは思えません。鬼は見方を変えれば被害者なのであって、本来は人間らしい心を持っていたはずだからです。道を誤って転落してしまったにすぎないのであり、長い年月をかければまた人間に上昇できる可能性があります。
鬼が死ぬ瞬間に、そのような鬼になる前の人間の心がわずかに表現されます。素晴らしく奥深い作品です。
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