たまに英語で話してみたのですが、難しい話になると返答に困ります。試験の後に雑談をしてみて、悪化した体の話ばかりでしたので、気分の面でも乗ることはできませんでした。さらに、「日本人の教え方では英語ができるようにはならないし、TOEICの問題は良くない」と日本語で言われました。日本で勉強しても話せるようにはならないとの指摘もありました。ただし、書けるようにはなるそうです。
現実をみて不思議に落ち込みませんでした。定型表現はそれなりに役立つことがわかり、また、文法に忠実な学習を続けるのが良いと改めて考えました。ひとつには能力の問題があります。筆者の能力では、残念ながら大幅な実力向上を望むの厳しいかもしれません。これくらい学習を継続していても、米国人との会話は成立しにくいのが現実です。
楽しい話ならまた違うと自分に言い聞かせています。病気の話、日本の英語教育を批判する話ではなかなか言葉が出てきません。少し建設的な方向で次の課題を探します。いま検討中なのは、卒業生たちとZoomで学習会を開くことです。しかし、希望者がいるかどうかは不明です。
実践の場が必要との思いは強くなりました。明日は経営組織論の試験です。この科目の内容を英語で話せるようになるには、もし可能でも30年はかかるとみています。無理でも努力をやめるつもりはありません。
ふっと経営学者Peter F. Drucker氏の言葉が浮かんできました。確か、三流以下を三流に引き上げるのは、一流を超一流にすることよりもはるかに難しいという意味の言葉がありました。無駄な努力はやめて、強みに集中することが大切であるといいます。
無駄な努力と言い切れるほど英語学習に無駄を感じません。日本語がより正確になるからです。万一、三流だったとしても好きであるからには継続してみます。
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