2024年6月30日日曜日

最低20000時間

どんな分野であっても、職業としてその道をある程度歩めるようになるには最低20000時間の努力が必要ではないでしょうか。仮に1日5時間努力するとしたら、11年かかります。やや少なく感じられますが、これが最低限の分量であると思われます。

能力が高いとしたら、10000時間でも到達できるのかもしれません。能力は生まれつき決まっているので後から制御できません。どんなに節制した生活を送っても変わらない事実です。

しかし、自分の能力を知ったうえで努力するのが人生であると考えています。無理だからと諦めては何も残りませんし、無理に思えることに挑戦し続けると心が鍛えられます。

中学卒業までの勉強は何の努力もしなくても出来ます。義務教育でやさしいので当然です。高校からが本当の勉強ですが、不要な難しいことが山のように出てきます。そこで、授業以外に1日3時間勉強したとしても、3年間でたったの3300時間です。あまりに少ない時間であり、しかも5教科も学ぶのは無理があります。もし国語と英語だけに特化したとしても、職業に役立つ力はとても身に付きません。

それでも10代の3300時間は成人後の10000時間ほどの価値があります。実感ではもっと価値があるかもしれません。そうであるからこそ、運動の部活動で時間を浪費してはなりません。将来運動選手として職業につける人など10000人にひとりもいないからです。

高校生のころから職業選択をよく考える姿勢が大切です。そうすれば無駄にしてはならない時間が思った以上に少ないと実感できるはずです。何の努力もせずに手に入る楽しさ、快楽を徹底して遠ざけなければなりません。これからの時代は特にそうです。

ただし、10代で『修身録』を実践しなさいとはいいません。それは無理です。考え方に触れるだけで十分です。

2024年6月29日土曜日

聴こえない

今朝JR中央線で移動していたら、体のとても大きな米国人二人が通路を挟んだ距離で話をしていました。騒々しい車内で聴こうとしてみたのですが、なかなか聴こえません。お互いに笑っていて、何がおもしろいのかわかりませんでした。

綺麗に録音されたテキストやニュースの音声とは違い、実践の英語は厳しいです。たまにこのような機会があると、まだ聴こえないと痛感します。単にリスニングの練習を増やせばよいわけではなく、別の要素が絡んできます。

ひとつには、ある程度の年齢に達してからの英語学習では大きな飛躍は望めないことがあります。また、決定的な要素は語学の才能という側面です。多少受験で英語が出来たくらいでは物足りません。

これはもうずっと学習を継続していって、結果はそれから考えれば良いでしょう。本来英語は10代である程度の才能のある人が学ばないと身につかない言語です。学生たちはまだ柔軟なので、もっと学んでほしいのですが、「どうしてもやりたくない」との声が支配的です。もったいないことです。

筆者の場合、日本語は自分でも認められる水準に達していて、経営学分野の学会賞を受賞しています。だからといって構造の異なる英語ができるとは限りません。自分を客観視して、出来の悪いところも受け入れて励ましながら英語を学んでいければと思います。

なんといって、この日本語力がなければいまの生活は成り立っていないので、それだけでも感謝しなければなりません。私の稼ぎのほとんどの部分は、日本語の力によるものです。

珈琲で長寿

職場の知くにあるスーパーマーケットには、ドトールコーヒーの瓶入りインスタント珈琲があります。ここでしか見つかりません。早速2つ買ってみました。ずっしりとした分量です。

職場の後輩(文学博士)である男性に1瓶差し上げました。後輩はすぐに飲んだらしく、フーチで波動測定すると数日で寿命が110歳まで大きく延びました。珈琲の延命効果はまだ判明しないことが多いのですが、何か秘密がありそうです。試験的に様子を見て後輩が元気になれば、少し手ごたえが得られます。ただし、珈琲は知人の健康関連会社が開発したエネルギー発生装置で少し質を高めています。それも延命効果につながっている可能性があります。

とはいえ、フーチの測定を全面的に信じてよいかどうかはわかりません。参考程度に考えた方が無難です。

また、ドリップ式のドトールコーヒーも買ってみたのですが、そちらの方が香りが良くて一層美味しいです。時間のあるときにはドリップで飲んでみます。ドトールは良い商品をたくさん作ってくれています。

このところは女性に関心がまったく向かず、良い状態にあります。それでも特別仕事や勉強がはかどるわけではありませんし、能力に大きな変化はありません。数年間の取り組みでもうわかっているので能力開発への期待はしていません。坦々と努力している時が一番良いです。眠いのは相変わらずです。

2024年6月28日金曜日

カンロ飴

最近の投稿と矛盾するようですが、仕事の帰りにDAISOでカンロ飴を購入しました。2ヵ月前実家にあった飴を私が食べてしまったために、今度補充しようと思ってのことです。1粒試食してみて「こんなに美味しい飴だったのか」と感じます。素晴らしいです。

この自然な味わいは成分をみればわかります。砂糖、水飴、しょうゆ、食塩だけです。添加物は一切使っていません。もし飴を食べたいときにはカンロ飴がもっとも安心できます。夏の暑い時には塩分が摂取できて良いです。

最近甘いものを口にしていないからか、本物の食品がすぐにわります。味覚が敏感になっている気がします。

カンロ飴には虎屋の羊羹との共通点を感じます。甘いものをほぼ完全にやめたとしても、このような本格的な製品であれば時々楽しんでも大丈夫です。また、品質の良いはちみつも同じように安心できます。

人工的なお菓子ではなく、これら自然な食品を適量楽しみたいものです。お菓子をすべて悪いと決めつける態度はとりません。大切なのはお菓子との距離感です。

2024年6月25日火曜日

まさかの数字

お菓子類の害について、霊界からはっきりとした情報が届きました。そこで、波動測定してみました。

もっとも汚染された食材の一つが鮪(まぐろ)です。100gの鮪の毒性を1とすると、一般的なお菓子100gは0.04です。数字だけみると大したことがないと思われるかもしれません。しかし、実は深刻な数字です。

完全に盲点でした。徹底して粗食にしても、外食をしないでいても、クッキーや洋菓子を週に数回食べたら効果が激減します。お煎餅はそこまで害がないようにみえます。いずれにしても認識が甘かったようです。完全にやめるくらいの決意が必要と思われます。とはいっても、年に数回なら許容範囲です。

男性同士では通常お菓子は食べません。珈琲だけで済むでしょう。しかし、女性にはお菓子は円滑な人間関係の友です。ここは決意を固めては、お菓子を辞退する必要があるかもしれません。言いにくいことですが事実です。これだけ繰り返し心に届くのは霊界からの通知です。

一人の時にお菓子をやめて珈琲にするのが最善策です。お菓子を口にしたら、美から遠ざかると思って間違いありません。老化が進みますし、顔が悪くなります。筆者も気を付けます。お菓子に甘い接し方をしていたので、これからは自分には厳しくします。

それでもたまに虎屋の羊羹は食べても良いです。心にブレーキをかけていれば大丈夫です。あまり断ると変な人と思われます。誰の目にもつかない場所で節制するのが良いです。それこそが修身録の本質です。

体に負担

甘いものが欲しくありません。最近の変化として、以前であれば仕事の帰りに立ち寄るスーパーマーケットで、お煎餅などを買うことがあったのですが、少しも買わなくなりました。自分でも進歩したと認めます。ハーゲンダッツのアイスクリームさえ視界に入ってきません。カステラやバームクーヘンなどの洋菓子は意識にものぼりません。

そして、なぜか少食でも空腹感がありません。お菓子を食べていた頃は、食事を2回抜くと少し空腹感がありましたが、それがなくなっています。たとえば、今日は朝にヨーグルトと卵2つ、チーズ、珈琲、小さなパン1つでした。お昼は無しで持参している白湯を飲みました。夜はパン1枚、お豆腐、コーンスープです。 

ご参考までに昨日は朝にパンとヨーグルト、胡麻、珈琲だけでした。そのまま出かけて夜まで食べ物、水は一切取らず、トイレにも行きませんでした(非常勤先の大学)。夜は卵3個にチーズ、ご飯1杯、木の実、水で薄めたスポーツドリンクです。スポーツドリンクは砂糖が入っているので、必ず薄めます。

お菓子を食べないと逆説的ですが、食そのものへの欲が低下します。そして、なぜかトイレ(小)の回数が減ってきます。珈琲を飲んでいてもだいたい3~4回程度です。色は薄い黄色で良い状態です。尿は透明で回数が多いのが一番悪いといえます。筆者はその状態を時々経験していたので気を付けていました。現在はまったく問題ありません。喉の渇きも感じません。口が渇いて透明な尿が多く出るときには、体調不良が疑われます。

お菓子の体への負担は大きいと思いますがいかがでしょうか。まだ検討中です。それでも次のお菓子は何日か先に虎屋の羊羹の封を開けても良さそうです。1切れならば大丈夫です。そのままお菓子の世界に戻ることはありません。

あとは7月か8月に、六花亭のお菓子をはじめて通信販売で買ってみたいと考えています。実家に届けて、冷凍して少しずつ皆でいただければと思います。完璧にやりすぎると息が詰まります。この2ヵ月近くはほぼ完璧です。この間に食べた甘いものは、鹿児島県の軽羹2切れと少しのゼリーのみです。実家にあった六花亭のレーズンサンドは口にしませんでした。お菓子の最高峰と考える六花亭を目の前にして食べなかったのは、本気の証です。リンツの「リンドール」も想像していません。

お菓子をほとんど完全にやめることで『修身録』が完成します。

2024年6月21日金曜日

無反応、無感動の広がり

現在、非常勤先の私立大学では2年生から4年生に教えていて、学力はそれほど高くないものの素直で教室の雰囲気は良好です。この非常勤のある日が唯一楽しいと思えます。

一方、本務校で教えているゼミの学生たちは何を言っても反応がありません。笑った顔さえ見たことが無い状態が1年続いています。

これについて仮説があります。情報化の進展で誰でも無料かそれに近い形で、刺激の強い情報を手にできます。何の努力をしなくても快楽が手に入る時代です。しかし、それによって脳内に快楽物質が充満し、他の活動に関心が向かなくなる構図です。そうとしか思えません。情報化が急速に進展するなかで、無気力・無感動の若者が多く生まれています。

共通するのは、何の努力もせずただ楽しいことだけを歓迎する姿です。

スマートフォンの間違った使い方が無気力な学生を量産しています。その流れは加速する一方です。筆者の仮説だけではなく、海外の専門家のなかでも同様の意見が出ているようです。

怖いのは小学生、中学生が情報に汚染される可能性があることです。そうなると、彼らの将来を完全につぶしてしまいます。しかし、止める方法はありません。両親が厳しく規制するしかありません。日本はいま危機的な状況にあると思います。

健康食品

珈琲は健康食品に位置づけられます。お菓子を食べたくなったら、珈琲を楽しむようにした方が好ましいです。言われるほど中毒性はありません。何よりも、健康効果が高いといえます。

試みに日本と世界で有名な珈琲会社2社の事業価値、世の中への貢献度を波動測定してみました。ともに世界10位以内に入る貢献度の高さです。米国企業の方が市場規模が大きいためか、少しだけ上の評価でした。

珈琲に関しては、雑音にまどわされず楽しんで問題ありません。夜に飲むのは控えていたのですが、カフェインレスのインスタント珈琲を買って、昨夜飲んでみました。睡眠は大丈夫でした。

また、自宅近くのスーパーマーケットにはドトールコーヒーの瓶詰商品が並んでいました。いまはスティックが手元にあるので、なくなったら買ってみます。普段はフランスのフォションを多く飲んでいます。

インスタントはごみが出ないので環境にも良いです。手軽に楽しめるインスタント珈琲は素晴らしい食品です。

お菓子類

まだわからないことが多いお菓子類の体への影響ですが、昨日フーチで測定してみるとお菓子全体の平均でみて、体への負担が高い傾向がみてとれます。

砂糖は麻薬的な魅力があるといわれる食材です。少量であれば問題は生じません。しかし、お菓子には想像より多量の砂糖が使われているので、体内に蓄積すると悪影響が出ます。

筆者はお菓子が好きであるからこそ、極力口にしない努力を始めました。お菓子の魅力は十分にわかっています。もっともごくたまに、高品質なお菓子を選べばリラックス効果もあって良いのではないでしょうか。高品質の基準として価格が高いものを選びたいものです。

理想的には虎屋の羊羹です。考えただけで美味しい記憶が戻ってきます。お菓子の頂点にある商品です。欠点はまったくありません。保存期間も相当長いです。洋菓子なら北海道帯広市に本社がある六花亭です。どれも本当に素晴らしく、もっとも好きな焼き菓子です。デパートの地下で売っている量販型の高級焼き菓子より、六花亭の方がだいぶ上に位置づけられます。食べればわかります。

チョコレートはリンツです。定番の「リンドール」は最上級の滑らかさを誇ります。最近はとても人気のあるブランドです。百貨店で高すぎる日本の手作りチョコレート(1粒500円以上)が流通していますが、リンツの方が美味しいです。

これらのお菓子はたまに食べる程度なら本当に良いです。しかし、ショートケーキなど生のケーキ類はもっと大量の砂糖類を使います。したがって、年に1度か2度に控える必要があります。ホテルなどのケーキバイキングは絶対に行ってはなりません。普段の努力は一瞬で水の泡となります。仮に1週間断食しても、1回ケーキバイキングに行ったら何の意味もありません。それくらい体と心を溶かします。

2024年6月18日火曜日

80回音読は無理でした

1ヵ月を過ぎたNHK英語ニュースの80回音読です。このところ50回を超えてから回数を重ねるのが苦痛になってきました。

確かに滑らかに音読ができますし、シャドーイングはほぼ問題ありません。オーバーラッピングならば楽々です。重要度の高い単語や表現は身につきます。しかし、とにかくつまらないのです。

こんなに英語をつまらないと思ったのははじめてです。100回、1000回と繰り返せる方は想像できません。音読を6年間継続している、音読大好きな私くらいのレベルではまったく駄目でした。

春に立教大学名誉教授 鳥飼玖美子先生の『やっぱり英語をやりたい!』を読んだら、「50回、100回の音読など必要ないし、そんなのは飽きてしまってできない」とはっきりと書かれていました。それは自分で実践してみないとわかりませんでした。鳥飼先生のご指摘どおりです。

私の気分にもよるのでしょうか。すぐに諦めるのもどうかと思います。あと少し様子をみてみます。いまは「正」の時を書いてそれが70~80に到達するのを常に数えているのですが、その行為自体がストレスになっています。

たとえるなら、ずっと筋力トレーニングを継続している感じです。学習方法は人それぞれなので、特定の方法にあまりとらわれない方が良いと思いました。