週の半ばまできて、あと一息です。まだ学校に行き、仕事はなるべく進めておきます。もう今日は学校が静かでした。ゼミの学生たちにはレポートの修正を依頼しているものの、平気ですっぽかされています。毎年のことですが卒業して苦労するでしょう。別に私が困ることではないので叱ったりはしません。世の中甘くはありません。最後には自分に返ってきます。クリスマスでべたべたして歩いている学生のペアは気持ち悪いです。
大学での仕事では順調にいくこともあれば、つまずくこともあります。何でも順調にいっていると喜ぶと、すぐに課題が出てきます。それが人生と思って仕切り直しの日々です。
食と性の節制もどこまで突き詰めればよいのかわかりません。食は極限まで切り詰められます。空腹感はよほどのことが無い限り生じません。感覚的には2~3週間食べなくても大丈夫です。ただし、体重を維持するために毎日1食は必ず食べます。たんぱく質は大切で、卵とお豆腐だけでは足りないかもしれません。
性の節制は女性にはわからないでしょうが、健康であると次々精子が生産されるのでそれをすべて体内に循環、吸収させることは困難です。いつも頭脳に貯蓄してくれるイメージで禁欲を続けています。それが実現できているのか確証はありません。目に見えて頭がよくなる実感はありません。
霊界の方たちは肉体がないので、性への欲は生じません。地上の人間は体の設計図に書かれているため、若く健康な男性はどんな人でも性への関心はあります。程度に違いがあるだけです。そして、日本ではそれを楽しむ人がほとんどです。果敢に制御しようと挑戦する男性はごくわずかです。周囲にはいそうもありません。何となくわかります。ですから、ひとりで挑戦し続けるほかありませんし、ひとりで楽しめる最大の修行です。
この3年間で経験するようになったことがあります。数ヵ月の禁欲で体内にエネルギーがあふれてくると、ベッドに横になるだけでそのエネルギーが全身を駆け巡るようになる日がきます。これはもしかすると、インドの聖人がいうウールドヴァ・レータによって「全身を蜜でなめるような感覚」に近づいている証拠なのかもしれません。決して辛くはないのですが、眠れなくなります。
その状態はあふれる健康を意味します。しかし、なるべくならばそこまでエネルギーが高まらないで静かにしていてほしいと思います。この状態から西野流呼吸法や肛門引き締め体操などいろいろやっても、簡単には平常時に戻りません。ベッドに横にならなければ大丈夫ですが、それでは就寝できません。朝まで筋力トレーニングを続けるのも非現実的です。
しかし、朝まで筋力トレーニングをやってみるのは手です。実際に、いくらでもトレーニングができそうなほど体が作られてきているので、一晩中トレーニングすることはできます。トレーニングしていたら、疲れて眠ってしまうケースも想定できます。
まだ修行中の身です。自分の体で試してみたいことはたくさんあります。そして、このような健全な体をいたわりたい気持ちが強く生じます。なぜそれほど性の禁欲にこだわるのか、と女性は思われるでしょう。筆者は決して女性好きではありません。むしろ、あまり好きでないタイプの女性が多く居て困っています。特に気の強い女性は苦手です。外見は関係ありません。心の問題です。現代では気の強い女性ばかりが、職場などで強く自己主張しています。筆者が若い静かな男性が一番好きなのはそのためです。
しかし女性があまり好きではなくても、我々男性の修行の行きつくところは性の節制にしかないと判断しています。食を節制したところで何も大きくは変わりません。性の限界までの節制は、自分がとても大切に思えるようになります。もし結婚していて思春期の子どもがいたら絶対に禁欲の正しさを伝えます。
女性に理解してもらいたいとは考えません。体が違うので真の理解は不可能です。そして、その生命エネルギーは静かにしているときと、高まる時とで周期があります。静かなときには枯れてしまったのかと心配になります。その状態は長く続きます。やがて時間が経つとどういうわけか戻ってきます。不思議な人間の体です。神が創造した神殿です。禁欲をしていなければ、そのような尊い気持ちは生じないと思われます。
最近3年間以上はそのような気持ちで過ごしています。そして、この気持ちは今後も持ち続け、少しでも純粋に生きられればと思います。他人には強要しません。何を重要視するかは価値観によります。